日本文学の研究では、古代から現代までいろいろな時代の日本の文学作品と作家について、表現技法や言語的な特徴、作品に潜む作者の思いなどを研究対象としています。その研究内容は大きく2つに分けられ、特定の作家や作品について深く研究する「文学研究」と、複数の作品、年代にまたがって日本文学の流れを研究する「文学史研究」があります。
日本文学を学ぶことは、日本人や日本の社会・文化の本質やあり方を考えることでもあります。文学作品の背景となる時代の社会・文化・思想・風俗や日本人の人間性そのものも研究対象とし、哲学や歴史学、心理学、社会学など、周辺領域の学問を用いて作品内での表現について考察する研究も行われています。古典文学から現代の作品までを対象とし、そのジャンルも小説から随筆、詩、和歌、戯曲など幅広くあります。
出版やマスコミ関連、広告代理店などのほか、図書館司書や学芸員などの資格を取得して専門職に就く人や、中学・高校教員、日本語教師になる人もいます。豊かな表現能力を生かし、公務員や一般企業に就職する人も多く、業種は多岐にわたります。
大東文化大学 文学部 教育学科 准教授 山中 吾郎 先生
あなたは小学校2年生の国語の教科書に載っていた『スイミー』という話を覚えていますか。赤い魚のきょうだいの中で一匹だけ黒いのが主人公のスイミーです。スイミーのきょうだいは大きなまぐろに食べられてしまいますが、スイミーはほかの赤い魚の群れとともに一匹の大きな魚のふりをして、まぐろを追い出します。印象に残っているのは「スイミーは一匹だけ真っ黒だった」という部分だけのことが多いのですが、大人になって読み直すと違う側面が見えてきます。
最初と最後の場面を比較すると、最初は「たのしくくらしていた」とありますし、最後も食べられそうになった大きな魚を追い出して平和な世界になります。しかし、2つの場面の「平和」は決定的に違います。最初の場面は、泳ぐのが速いスイミーしか生き残れない「見せかけの平和」でしかなく、大きな魚の出現により、もろくも崩れ去ってしまいます。しかし最後の場面では再び危機が訪れても対処する方法がわかっているのですから「本当の平和」が訪れたと言えます。
また、物語の中盤で、きょうだいが大きな魚に食べられてしまい、孤独に海の中をさまよっていたスイミーはふと海の中の美しさに気がつきます。今まで当たり前のように広がっていた世界の素晴らしさに気づいたのは、大きな心の喪失があったからでしょう。スイミーは辛い経験をし、それを乗り越えることで、仲間とともに真の平和をつかむことができたのです。
こうやって大人の視点から読み直すと、子どもの頃に読んだときと印象が変わります。とても深い内容の、価値のある話だったという再発見があります。大人になった眼で読むことで、私たちの生き方に関わる文学作品として読むことができるのです。
受験では文章を正確に「読み取る」力が求められるのですが、大学での学びではさらに文学作品を「掘り下げて意味付けをする」ことが必要です。教師は、その上で子どもたちに授業をすることが大切なのです。
東京大学 教養学部 准教授 永井 久美子 先生
世界三大美女に数えられることもある小野小町ですが、本当に美人だったかどうかはわかりません。在原業平は『古今和歌集』で、小町の歌を「衣通姫(そとおりひめ)の流れをくむ」と評しています。衣通姫とは、その艶色が衣を通し光り輝くようであったとされる、『古事記』『日本書紀』に登場する女性です。華やかな歌からイメージが派生し、小町は美人とみなされるようになりました。同じく、顔はわからないものの伝承からイメージが広がった紫式部は、石山寺に参籠した際、琵琶湖に映る月を見て『源氏物語』を思いついたという伝説から、月や筆とともに描かれました。
時代が下ると、肖像画は伝説よりも実証性を重視して描かれるようになりました。江戸後期から明治にかけてまとめられた伝記集『前賢故実(ぜんけんこじつ)』では、500人以上の歴史上の人物の肖像画が、有職故実(ゆうそくこじつ)の研究に基づき描かれました。この本で、新しい肖像が生み出された人物もいます。例えば紫式部は、本を読みふけったという『紫式部日記』の記述をもとに、書物の山とともに描かれました。併記された略伝も、史料によって裏付けが取れる事項を記すのみとなっています。明治以降も、画壇では石山寺に籠もる紫式部が描かれることがありましたが、教科書に載る肖像画は、実証的に描かれたものとなりました。
式部の肖像のように、人物のイメージは時代によって変化することもあります。小町の場合、大正期に書かれた黒岩涙香(るいこう)の『小野小町論』で、理想の女性像とされました。ジャーナリストであった涙香は、貞淑を是とする当時の女性論と連動させて、小町の恋愛における矜恃(きょうじ)をほめたたえました。国風文化の中核を担った教養ある和歌の詠み手、さらに美女伝説があるという点から、小町は日本を代表する美人ともてはやされ、新聞や雑誌を通して世界の「美女」たちとともに名前が挙げられ、広く知られていったのです。
武蔵大学 人文学部 日本・東アジア文化学科 教授 漆澤 その子 先生
歌舞伎は江戸時代から今日まで続く総合エンターテインメントです。江戸時代の人々は現代人が映画やドラマを見る感覚で歌舞伎を楽しんでいました。お芝居のストーリーが気になる、好みの役者を見たい、華やかな舞台演出や音楽を楽しみたいなど、さまざまな理由で劇場に足を運んでいます。また、人気役者のファッションや髪形が評判になると、それを真似する人たちが巷(ちまた)に現われました。今日でもしばしば見られる流行現象と同じことが、当時すでに起きていたのです。
人気役者が流行の発信源になることがわかると、役者を使って自分の商品を売ろうと考える商人も出てきました。例えば、お香に役者の名前をつけて販売したり、役者に自分の店の商品を舞台で使うよう依頼したりと、今日のタレントと商品のタイアップ(互いに利益を得るために協力すること)と同様の広告戦略がとられていたのです。
一方、歌舞伎を上演する側も、お客が増えるよう工夫を凝らしていました。例えば未上演の演目を描いた浮世絵に実在の役者に似せた人物を登場させ、役者がお目当てのファンの期待をあおり、十分に盛り上げてから上演するといった集客努力をしていたのです。
当時の歌舞伎の劇評を読めば、人々がどのような演目や役者を好み、何に注目してお芝居を見ていたのかがわかります。例えば役者の褒め方からも、「日本一」か「三国一」かによって、その人の持つ世界観が日本を中心としたものか、アジアまで視野に入れたものかがわかるのです。また、上方(かみがた)の歌舞伎が江戸では「野暮ったい」と評されるなど、地域によって人々の好みが異なっていたこともわかっています。
為政者に関する記録とは違い、庶民に関する記録は時代をさかのぼるほど少なくなります。しかし、文化を通じてその時代の人々の趣味嗜好やものの考え方が読み取れることがあります。歌舞伎もそのような文化のひとつなのです。
愛知県立大学 日本文化学部 国語国文学科 教授 中根 千絵 先生
医学の本には薬の処方や治療法が書かれていると思う人が多いでしょう。日本の中世にも、医書はそのように用いられていましたが、宮中で活躍した医師の惟宗具俊(これむねともとし)が書き上げた『医談抄(いだんしょう)』は、それまでとは全く違う医書でした。
天皇や位の高い人にどうやって薬を飲ませたらいいかなどといった、人間関係を重視した医書だったのです。なぜなら、当時の医者は陰陽師などの祈祷師やと同等とされ、病気は「鬼のせい」と考えられた時代で、体に入った鬼を退治するにはどうするか、どうすれば位の高い人を説得できるかが重要だったのです。また、この医書には、「人面瘡(じんめんそう)」や「産女(うぶめ)」といった妖怪が登場する不思議な説話もたくさん収められています。
戦国時代になると、武将に仕えた医師は、おもしろい話や役に立つ話ができることが求められました。病気は「虫」が原因とされ、「腹の虫」「虫のいどころ」といった言葉が生まれています。
また、日本は明治時代に、東洋医学から西洋医学へガラリと切り替わった珍しい国です。今では西洋医学が当たり前となっていますが、日本の医学の考え方に多様性があったことを古典文学は教えてくれるのです。
古典を読み解くと、時代の背景や思想的な変化も見ることができます。土地の由来や物語を今に伝えるのも古典文学です。ある地域には、「雷と人間の子孫である家に、力持ちの女性が生まれる」という短い説話があります。家や地域の素晴らしさを語り継ごうとしたのでしょう。
当時の人々の考えや想像力、日本文化のもつ多様な思想などに触れ、その時代の空気を感じられることも古典の魅力です。古いものに価値を見出す日本に残されているからこそ、今の時代に古典を通してさまざまな人々の思いに触れることができるのです。
神戸大学 文学部 人文学科 国文学専修 准教授 梶尾 文武 先生
文学作品の研究とは、私たちが生きている現在の文化や経験とは異なった文化に触れることです。過去の文学作品と向き合うことで、今とは異なる文化を知ることができます。
文化とはなんでしょう。一つには価値観があります。例えば、何を美しいと感じたのか、美的な体験とは何だったのかということを作品の中に探っていきます。それが他者を知ることにつながります。自分だけの世界は狭く限られたものですが、自分が経験していないものを研究することで寛容性が養われます。自分が知らないものがあるという想像ができることを、教養と呼びます。教養は、生きていく上での力となるのです。
例えば、三島由紀夫をはじめとした昭和初期のロマン主義文学は、高校の現代文の教科書にも採用されています。正しく読むことが大前提で、言葉に潜んでいる意味や文脈を丁寧に掘り起こしていくことが、文学作品研究の初歩的なアプローチです。しかし、文学作品研究においては、国語のテストのように答えが一つではありません。読み手によって解釈は多様ですから、異なる意見を議論しながら突き詰めていくことが作品研究には求められます。議論しながら作品を掘り下げていくことで、作品の理解が深まります。
文学作品と向き合うとき、新聞や雑誌をはじめとした資料にあたって、その作品が書かれた時代の歴史を知ることも必要です。登場人物の心情を読み込むには心理学の素養も求められますし、思想を理解するには哲学や社会学などの知識も総動員することが必要です。
中国、アジア、そして欧米の国々にも日本文学の研究者がいます。日本文学研究は日本だけの閉じた世界ではないのです。日本人の研究者が背景を重視するのに対し、海外の日本文学研究者は、より深く人間の問題を掘り下げる特徴があり、お互い良い刺激になっているのです。
研究実績があり、史資料も豊富だから
学習環境、とくに図書館が充実しており、利用したいからです。
ゼミに特化している点に魅力を感じた。1年次からゼミを行うことで、理解をより深めることができる。
学芸員を目指していて、学芸員課程に力を入れている大学だと知ったから。
日本文学を学ぶのにとてもいい教育、研究ができるとおもった。大学は学びたいことが学べる学部学校がよいと思ったから。
愛知県内で公立大学で歴史学を勉強できる数少ない大学だったから。
環境が素晴らしく、施設の充実にひかれました。
レベルの高い学習環境である
大東文化大学 文学部
書道学科という珍しい学科がある数少ない学校の中で、資格取得はもちろん、大東でしかないゼミがあり参加したいと思ったからです。
取りたい資格が取れるのと、歴史を重点においた観光について学べることが出来るから