文学作品は、書かれた時代やその国の社会や文化を反映しています。外国文学の研究では、その表現技巧や詩的言語を分析したり、歴史、思想、宗教、心理学などの視点からさまざまな読解の可能性を探ります。ジャンルは小説、戯曲、評論と多岐にわたり、映画や歌などの芸術作品も研究の対象となります。そのアプローチも、作家研究、特定地域の文学研究などがあります。
言語はもちろん、文化的にも大きく異なる背景を持つさまざまな国の文学を研究するため、対象となる作品・国・年代に合わせて、研究手段としての外国語習得と異文化理解も必要となります。国や言語によって文学作品の意図と表現がどのように異なるかを比較研究することもできます。また、作品を糸口に、その文化圏の社会・自然・スポーツ・文化などの事象を追究する文化・社会研究も盛んです。
語学力や異文化情報を生かし、各業界の国際的な業務で活躍する人も多数います。教員や博物館学芸員、図書館司書などの進路も可能です。また、卒業後に通訳・翻訳学校から現場経験を経て、通訳・翻訳の仕事に就く人もいます。
東京女子大学 現代教養学部 国際英語学科 国際英語専攻 教授 溝口 昭子 先生
英語圏は、世界中に広がっています。それは、イギリスが17世紀以降、植民地を求めて世界に進出したことと関係があります。イギリスの植民地では、英語による統治が行われ、英語と英国文学・文化が伝えられるとともに、支配された人々は、半ば強制的に英語を使わざるを得なかったからです。こうして、海を渡った英語は、植民地支配の中でそれぞれの国に根づいていきます。
アフリカにおけるイギリス植民地でも同様です。南アフリカは、古くからのイギリス系入植者が多く、彼らが書いた英語文学は、20世紀以前から存在し、本国でも出版され、読み継がれます。アフリカ人の作品も早くから存在していました。ほかのアフリカ諸国では、植民地支配が終わる1960年代以降に数多くのアフリカ人作家が活躍するようになります。
なぜアフリカの人々は、独立後も自分の民族の言葉ではなく、英語で文学を書いたのでしょうか。植民地支配の過程で、英語が事実上の「公用語」となり、生活の中に浸透していたことが背景にあります。また、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の下では、差別政策として黒人への現地語教育が奨励され、それに抵抗して英語を使用する動きもありました。さらに、「英語文学」には、翻訳なしで世界に発信できるメリットがあります。支配や差別の苦しみ、白人が歪曲した民族の真の歴史、独立後の独裁政治の現実などを国際社会に訴えるためには、英語で書くことに意味があったのです。もちろん、この傾向を「英語で書くことこそが、植民地化された精神の現れ」と批判し、民族語で書く作家も育っています。アフリカの英語文学を学ぶことはこの矛盾を考えることでもあります。
イギリスにも変化が生まれています。かつての植民地からの移民を受け入れ、多民族国家となったイギリスでは、アジア・アフリカ系の作家が活躍するようになりました。海を渡った英語は、世界中で「英語文学」を作り出すとともに、本国イギリスをも変えつつあるのです。
東京都立大学 人文社会学部 人文学科 教授 佐々木 睦 先生
近代以前の中国では儒教の教えの下で、親を大事にしなければならないという考えが根付いていました。一方、子どもはどこか軽んじられ、教育の場においても児童向けのテキストなどはなく、四書五経といった大人用の文献がそのまま使われていたのです。しかし清朝末期、西洋諸国との関わりの中で人権や女性の扱いとともに、児童教育についても考えられるようになりました。その一端を担ったのが魯迅(ろじん)で、彼は文学を通して中国の伝統的な思想の誤りを正そうとしたのです。
清の後を受け樹立された中華民国では新しい学制や教科書が採用され、発行され始めた児童雑誌が国語の副読本的な役割を担いました。特に政府と密な関係にあった出版社では新しく作られた発音記号の「注音字母」を積極的に掲載し、これを普及させようとしました。当時の中国では同じ意味の言葉でも使われる漢字や発音が地域によってバラバラで、近代化のためにも言語統一は避けて通れない道だったのです。児童雑誌はその後、蒋介石(しょうかいせき)が起こした新生活運動にも一役買い、生活規範や衛生観念を浸透させる上で成果を上げました。
また児童雑誌には読みものとして、『ピーター・パン』や『不思議の国のアリス』といった西洋童話も掲載されていました。それまでの中国には子どもが異界に迷い込むような物語はなく、これらの物語は大きな反響を呼び、「アリス」と名付けられた子どももたくさんいたと言われています。
1930年代後半、世界情勢が緊迫化していく中でも中国は海外文化を完全には排斥せず、敵対関係にあった日本の「忠犬ハチ公」やお正月の過ごし方を取り上げた記事すら掲載していました。この辺りは政治的関係がこじれると途端に拒絶反応を見せる日本人と一線を画すところであり、日本人以上に他国の文化に貪欲で、それを自国化するたくましさがあると言えるでしょう。
大阪大学 文学部 比較文学専修 教授 橋本 順光 先生
文学を複数の国や言語で比較し相互関係を探る、「比較文学」という学問があります。文学作品は、世界各国でときに衝突しながら混ざり合い、影響を与え合っています。これは、例えば日本のスシが海外でも人気になり、アボカドやマヨネーズを使うカリフォルニア巻など、日本になかった発想で新しいスシがつくられたこと、それがさらに逆輸入され、最初は反発されながら、日本でも普通に食べられるようになったことに似ています。
19世紀末イギリスの人気ミュージカル『ゲイシャ』(1896)は、「geisha」という言葉を世界中に広めました。それは当時の日本人にしてみれば、日本女性がみんな芸者に思われているようでショックなことでした。しかしそのヒットの裏には、イギリス人にとって芸者は「近代化した日本の脅威をやわらげてくれる存在」であると同時に、イギリス人男性にとって「権利を主張し始めた西洋人女性への不満を晴らしてくれる理想の女性像」という理由があったのです。今でも映画などで日本人が見ると違和感のある日本人が登場したりしますが、これをただ単に間違いとするだけでは、なぜそれが好まれるのか理由が見えてきません。外国の文学作品に描かれた日本像を探ると、その国がなにに不満を抱いているのかがわかり、同時に日本の意外な一面を知る手がかりにもなるのです。
例えば『ゲイシャ』には、茶屋を営む中国人がめちゃくちゃな英語で歌う歌があります。この歌は、東洋人を馬鹿にしたものだったのですが、曲の良さもあって日本でもヒットしました。そして当初の目的とは正反対に、この歌詞は、鹿児島県や北海道の商業高校で応援歌として使われ、今なお歌われているのです。
文化は相互に影響しあいながら、もともとの意図や意味を超えて作り替えられ、受け継がれます。その越境と変容を調べて、思いがけない共通点や逆転現象を見つけるのは比較文学ならではの面白さです。
神戸市外国語大学 外国語学部 ロシア学科 准教授 エレナ バイビコワ 先生
外国語で書かれた文章を、別の言語に変えて伝える翻訳者は、よく「黒子」「裏方」と言われます。本当にそうなのでしょうか。実は、翻訳された文章には、翻訳者の思いや、翻訳された当時の文化、社会、歴史的な背景など、多くの情報が詰まっています。「翻訳研究」とは、翻訳された文章を通して、これらの要素を読み解いていく学問です。翻訳者の人生やこれまでの仕事、または、編集者や出版社、書評家、読者など、翻訳者を取り巻くネットワークから、翻訳文を分析してみると、いろいろなことがわかります。
例えば、2006年に日本語に翻訳・出版されたイスラエルの児童文学『ぼくによろしく』を読んでみましょう。原作が書かれたのは1970年代ですから、出版年との間に約40年の開きがあります。翻訳者は、長年イスラエルと関わってきた日本人で、イスラエルへの深い愛情が感じられます。
このような情報も頭に入れつつ、原作と翻訳本を比べてみます。すると、原作で登場する日本名に似たアラビア人の使用人の名前が、翻訳本ではまったく違う名前に変更されていることに気づきます。物語上、特に重要な人物ではありませんが、翻訳者にとっては、イスラエルへの印象を悪くしないために大事なところだったのかもしれません。2冊の本をじっくり比べてみると、翻訳者の思いだけでなく、イスラエルと日本、それぞれの子ども観や文化的な違いなども見えてくるのです。
翻訳は、はるか昔から行われてきましたが、翻訳研究は、戦後に始まりました。最初は言語学的な研究が中心でしたが、1980~90年代に入ると、文化的、社会的な側面からも研究が進められるようになりました。コンピュータを利用した機械翻訳の出現により、2000年代になると人間と機械が一緒に訳した翻訳の研究も始まっています。翻訳研究の世界は、これからもどんどん広がっていくでしょう。
福岡大学 人文学部 フランス語学科 教授 辻部 大介 先生
『法の精神』で知られる18世紀のフランス人思想家モンテスキューは、若い時に『ペルシャ人の手紙』という小説を書きました。この小説は、使節としてフランスに滞在した2人のペルシャ人貴族、ユスベクとリカから祖国の家族や友人に送られた手紙を集めて紹介する、という形で出版されました。フランスで出版するために、ペルシャ語を翻訳したという設定です。しかし、この設定はすべて虚構で、モンテスキューが自分の名前を出さずに、すべてを書いた書簡体小説だったのです。
当時、ペルシャは専制国家、一方、フランスはルイ14世による絶対王政でした。宗教はイスラム教とキリスト教、また、ペルシャは一夫多妻制ですが、フランスは一夫一妻制です。小説は、宗教も社会制度もまったく異なるペルシャ人が、フランスをどう見るか、という視点で書かれています。
フランス人なら気づかないこと、語りづらいことも、ペルシャ人なら自由に語ることができるため、そこにはフランス社会や為政者、宗教への批判が見られます。例えば、キリスト教の教義に三位一体(さんみいったい)がありますが、彼らは、何で1+1+1が3ではなくて1なの?と問います。また、キリスト教では、パンをキリストの体と言いますが、ペルシャ人は、「ただのパンにすぎない」とからかうのです。
その一方で、彼らはヨーロッパで生まれた近代科学に感動し、自然現象を法則で説明するという新しい考え方を吸収します。また、男性と女性が対等に話すのを見て、一夫一妻制を評価するようになるのです。ところが、ユスベクに事件が起こります。母国で彼の妻たちがほかの男と付き合うなど、彼に対する「反乱」を起こすのです。罰を与えようと指令を出しますが、遠隔地にいるため事態は悪化するばかり、ヨーロッパに感化された彼は、ペルシャに「復讐(ふくしゅう)」されてしまうのです。
表象文化論教室があり、あらゆるジャンルの作品から背景にある歴史や社会のあり方を研究できるから。
人と社会の関係について学びたい気持ちと、教養を身に付けたい気持ちがあって、1年次で教養を、以降でコースごとの学習をするというやり方に惹かれた。
学びたい文化史や芸術史や比較文学のコースが充実していること、メジャー・マイナー制(文学部でメインをとり外国語学部でサブの専門が選べる)があること。
文学部は20の専修があり、入ってから自分の興味に合った分野を選べることに魅力を感じたから。
外国語に特化した大学で、複数の言語を学びたいと思っていたから。
外国語のみならず経済や政治についても学習できるので大変魅力的に感じた
人文学部でドイツ語などの外国語が学べる
韓国語、中国語等の授業内容が自分が考えるものに近かったから。
東京女子大学 現代教養学部
留学制度がプログラムに含まれていて必ず留学できるため。
留学制度が整ってる