これらの学問は、人間・世界・生きることなどの、人間と人間に関わる事象の本質・原理・問題を追究する学問です。近年では単に「思想の問題」として研究するだけでなく、医学や心理学、生物学、社会学などとの連携を深め、例えばクローン技術と生命倫理やエコロジー問題など、現代社会の抱える問題の解決策を探究する面が強まっています。
「哲学」は、古代から続く哲学思想史を土台として、「人間の存在」「世界や人生の根本的な原理」について研究を行い自分なりの答えを導いていきます。「倫理学」は、主に「人と人との関わり」を中心に、道徳心や善悪、人としてのあり方など、人間としての規範や原理について学びます。「宗教学」は、神の存在や真理についての研究や、さまざまな宗教の教理の研究、宗教が社会・文化に与えた影響などを研究する分野などがあります。
専門性がより生かせる分野では、教員、司書、学芸員などの資格を要する職業に就く人が大半です。宗教学は、教団関係職に就く人や寺院・神社などで働く人もいます。また、より専門的に学ぶために大学院へ進学する人も少なくありません。
立正大学 文学部 哲学科 教授 野矢 茂樹 先生
哲学というと、アリストテレス、デカルト、カントといった過去の哲学者の思想を研究する学問だと思われがちです。もちろんそれもだいじですが、それだけでは歴史研究であって、哲学ではありません。哲学にはさまざまな哲学問題があります。古代から現代までいろいろな哲学者たちが考えてきた問題がありますし、現代に特有の問題もあります。そんな問題を、過去の哲学者たちから学びながら、最後は自分の頭でとことん考える、それが哲学なのです。
そんな哲学問題の中で、「心とは何か」という問題は、これまで哲学者たちがずっと考え続けてきたものであり、また、現代においてとりわけ鋭く問われねばならない問題です。ふだん私たちは何気なく「心」という言葉を使います。「物より心がだいじだ」なんてことも言います。でも、改めてそれがどういう意味なのかを考えてみると、うまく答えられないのではないでしょうか? これは哲学者だけではなく、誰もが考えてみなければいけない問題です。
哲学の問題はいくつもの問題が関連しあっています。だから一つの問題を考えていると別の問題に突き当たりますし、ある問題を考えていると、ほかの問題への答えが見えてくることもあります。「心とは何か」という問題も、脳と心の関係などさまざまな問題と結びついていますが、とりわけ「他者とはどういう存在なのか」という問題と強く結びついています。おおまかに言えば、他者と共有できているものが「客観的な世界」とみなされているもので、共有できていないものが「心」に属する、そのように考えることができます。しかし、例えば神の存在などは同じ信仰をもつ人の間では共有できていても、そうでない人とは共有できていないでしょう。そうすると、単純に「心」と「客観的世界」に二分するわけにはいきません。では、どうなっているのか? まだまだ考えなければいけない問題は続きます。
静岡大学 情報学部 情報社会学科 教授 吉田 寛 先生
今、各地で気軽に哲学的な対話を楽しめる哲学カフェが開かれ、中高生、サラリーマン、自営業、主婦、退職後世代など、多くの市民が参加し、身近な関心や先端技術との付き合い方などについて、議論や意見の交換をしています。また、大学1年~2年ごろに受講する教養科目には、必ずといってよいぐらい哲学や倫理学の授業があり、科学技術を学ぶ学生も、医療や看護を学ぶ学生も、法や経済を学ぶ学生も教養としてこれを学びます。AI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)といったテクノロジーの進化が著しい今だからこそ、哲学・倫理学が必要とされているのです。これはどういうことなのでしょうか?
情報社会と言われる現代、キャッシュレス化やAI化、医療技術の発展など社会は大きく変動しています。教育や政治にAIが関わるときが来るかもしれません。ビッグデータを利用してAIで結論を導くとき、そのプロセスはブラックボックスであり、エンジニアを含めて誰にもわかりません。では、経緯のわからない決定に対して、誰がどう受け止め、誰がどう責任をもつべきなのでしょうか? また、遺伝子の研究が進むと、若返りができたり、人工臓器が簡単につくれたり、親が望む通りの子どもにするデザイナーズベイビーが生まれたりするかもしれません。そのとき、社会にはどんな受け止め方、そしてルールが必要なのでしょうか? それを考えるのが倫理であり、そのベースには「人間とは何か」という哲学があります。
人は技術の恩恵なしでは生きていけません。一方、人は地球の自然環境のなかで進化してきた生物でもあります。人間と、自然や技術とのバランスをどうとらえるかが大切です。科学技術者も、市民も、ただ時代に流されるのではなく、どんな方向にどう進んでいくかを考えることが大切な時代なのです。だから、自然や技術と適切な関係を結び、よりよい社会をつくるためのベースとなる考え方である哲学や倫理が必要なのです。
山口大学 人文学部 人文学科 教授 ジュマリ アラム 先生
ファンが、アニメ・漫画・ゲームを、単に観たり読んだり遊んだりして楽しむだけでなく、登場人物のキャラクターに魅了されて何らかの働きかけをすることを「キャラ活」と呼びます(キャラクターの「二次創作活動」または「実体化する活動」の略)。具体的には、現代日本サブカルチャーにおいて定着している次の活動がメジャーなキャラ活だと言えます。
1)キャラが登場するイベントやライブ、催しに積極的にアクセス・参加すること。
2)キャラを、身をもって演じること(さりげなく日常世界において、またはコスプレのように堂々とイベントなどの非日常世界において)。
3)原作にない独自のストーリーやエピソードを創作し公表すること(同人誌などの紙媒体として、またはSNSなどのデジタル媒体として)。
4)原作とは若干異なる独自のイメージを絵やイラスト、動画として創作し公表すること。
キャラを二次創作する活動自体が「宗教」であるとは言い切れませんが、そこに「宗教的な原理(=宗教性/スピリチュアリティ)」が働いていることは、疑いの余地がありません。どういう原理かと言うと、キャラを通して「現実」と「理想」を結びつけようとするファンの意気込みです(宗教学では、前者を「日常/俗」、後者を「非日常/聖」と呼ぶ)。仏教やキリスト教といった世界宗教において、人々が預言者・教祖・聖人たちを偶像化し、個々の人生の模範・指針とみなすのと同じ原理です。
人はなぜキャラ活を行うのでしょうか。本当の自分や個性をもっていないからでしょうか。キャラ活は「自分探し」の一環ですが、ファンは、原作のキャラに成り切ったり真似したりしているのではありません。それをヒントまたは雛形として、みずからの内面に秘められているキャラを発見し、引き出し、開発しようとしているのです。
哲学を学びたいと思い、オープンキャンパスで講義を聞き面白く、更に学びたい気持ちが大きくなりました。
哲学や表象文化学が専攻できる
神道文化学部という神道を中心とした宗教学を学べる、とても珍しい学部があり、そこで学びたいと考えた為。
宗教文化士という資格を取れるため。
国際開発と哲学に興味があり、両方学ぶことができることに魅力を感じたから。
埼玉大学の教養学部では、様々な文系科目を学ぶことができ、2年次から自分が一番取り組みたい学科に編入できるというところに魅力を感じた。
仏教系大学の中では世界一の研究がされている。
仏教の教えと禅の精神について理解を深め、宗教に対する正しい認識を身につけることを目的とした大学の教育内容に大きな魅力を感じたからです。
法政大学 文学部
哲学科には美術分野が入ることが多いが、法政はそれよりも倫理学や思想に力を入れているため
教授陣がしっかりしていて、受けたい授業が多いから