マスコミュニケーション全般とテレビ・ラジオ、新聞・雑誌、出版、広告、インターネットといった各マスメディアについて、社会における役割や影響力、情報伝達の仕組みや歴史などを学ぶとともに、制作や情報発信に関する技術まで視野に入れて専門的に研究します。また、企業などの広報活動について、その役割やメディアとの関係なども研究します。
具体的には2つの方向性があり、ひとつはマスメディアの役割やそのあり方そのものを追究するアプローチです。マスメディアが伝える情報の内容の検証や社会に与える影響の分析によって、情報発信のあるべき姿を探ります。もうひとつは、新聞、出版、広告、インターネットなど特定のメディアについて、その役割や問題点などを研究するアプローチで、知識や理論だけではなく、メディアの倫理的な側面についても研究します。
多くの人が、学んだ内容を直接生かせる新聞社、放送局、出版社などのマスコミ関連企業や広告業界への就職をめざしています。インターネットで情報発信を行うIT関連企業や、一般企業の広報部門や広告宣伝部門、制作部門で活躍する人もいます。
江戸川大学 メディアコミュニケーション学部 マス・コミュニケーション学科 教授 神田 洋 先生
スポーツというものは、テレビや新聞などマスメディアの影響を受けて、変化し発展してきました。例えばバレーボールの得点ルールは、サーブ権を持っているチームがラリーに勝てば得点できるというサイドアウト制から、現在ではサーブ権にかかわらず得点できるラリーポイント制に変わりました。これはテレビ放映などの都合を考慮して、試合時間を短縮するための変更であり、メディアがスポーツを変化させた一例と言えます。
スポーツのような遊びは太古から存在していましたが、「スポーツ」という概念が成立したのは、違う地域の人でも同じように楽しめるように、ルールを制定しそれを共有するところから始まっています。そこには、必ずメディアが大きな役割を果たしているのです。
メディアが、偉大なプレイヤーを作り上げてしまうこともあります。大衆は、常にヒーローを求めるものです。あるスポーツの世界に卓越したプレイヤーがいない時代には、さほどの実績を挙げていない選手でも、マスコミがヒーローとして扱ってしまうことがあります。これは、大衆の見えない要求に応える形で起こる現象です。
日本と海外のスポーツメディアを比較すると、面白い違いも見えてきます。日本にスポーツという概念が入ってきたのは明治以降、欧米の影響を受けてのことです。そのため日本のスポーツ界では、海外に追いつけ追い越せという意識が強く、外国人選手に勝った、全日本選抜チームが海外のナショナルチームに勝った、オリンピックでメダルを獲った、などということがメディアでも大きく報じられます。一方アメリカでは、オリンピックも話題にはなりますが、それよりも、野球のメジャーリーグ、NBA、アメリカンフットボールなど、国内の人気スポーツのほうがメディアに大きく取り上げられています。このようにメディアを見ていくと、よりスポーツの世界が見えてくることがあるのです。
武蔵大学 社会学部 メディア社会学科 教授 永田 浩三 先生
1945年8月6日、ヒロシマの上空から原爆が投下されました。そのときの地獄のようなありさまや、それを体験したひとたちの人生が大きく変わってしまったことは、あなたも聞いたことがあるでしょう。しかし、原爆について世の中のひとがイメージできるようになるまでには、先人たちの血のにじむような努力がありました。敗戦直後は日本政府、次にアメリカ軍から、ヒロシマについて書くことや語ること、研究することが禁じられたのです。プレスコード(検閲)と言います。禁が解かれたのは、7年目以降で日本が独立を回復した後でした。
たとえ危険な目に遭ってもヒロシマを伝えようとしたひとのなかに、詩人の峠三吉、画家の四國五郎がいます。彼らは挿絵入りの詩集『原爆詩集』を世に送り出しました。あなたは、「にんげんをかえせ」というフレーズを聞いたことがありませんか。これが峠の詩の一節です。
1954年、太平洋ビキニ環礁でマグロ漁船・第五福竜丸が水爆実験の死の灰を浴びます。事件を契機に、ついに広島・長崎の被爆者が本格的に声を上げます。そしてNHKと四國の呼びかけにより、原爆の体験を絵にするキャンペーンが展開していきました。さらに、当事者の声を出発点として、世界中に核兵器をなくそうという運動が広がります。2017年、国連で採択された「核兵器禁止条約」は、こうしたひとたちの力があってこそ生まれたものなのです。
被爆者自身が原爆の絵を描く取り組みは、さらに発展していきます。広島市の基町高校の生徒たちが被爆者から話を聞き、1年かけて油絵にしていくのです。この取り組みは今も続いており、それを描いたドキュメンタリーは大きな反響を呼びました。詩、絵画、そして映像によるドキュメンタリーなどによって、ヒロシマの体験は被爆者だけのものではなくなっていきました。このような経緯を追っていくと、メディアの可能性が見えてきます。
目白大学 メディア学部 メディア学科 教授 牛山 佳菜代 先生
「メディア」と聞いてまず思い浮かべるのは、全国ネットのテレビやラジオ、全国紙の新聞など大規模なマスメディアでしょう。しかし、日本の全国各地には、それぞれの地域に根づいたテレビやラジオ、新聞などがあります。これらの地域メディアは、全国的なメディアに比べて圧倒的に小規模であり、メディア研究の分野でもあまり注目されてきませんでした。
日本では明治時代以降、さまざまなメディアが現れては、時代とともに成長・衰退してきました。このメディアの変遷を生き物の生態系のようにとらえる考え方を「メディア・エコロジー」と言います。メディア・エコロジーの視点で見ると、地域メディアは、全国的なメディアではかえって難しい、独自の役割を地域で果たして生き残ってきました。
例えば、地域の新聞やテレビ・ラジオは、長年地元のニュースを取材し続けてきた経験を生かし、インターネットでも見つけるのが難しいような地域情報を発信しています。これは地域メディアならではの強みの1つです。また、地域メディアは、全国的なメディアに比べて各メディアが連携して、地域で起きている問題をニュースとして一時的に取り上げるだけでなく、問題の改善・解決まで主体的に関わっていくこともあります。
インターネットが普及して以降、地域メディアは大きく変わってきました。これまで地元の人々だけに発信していた情報を地域外の人々にも発信できるようになったのです。これにより、地域メディアが観光に果たす役割も大きくなりました。インターネットテレビやラジオを通じて、ご当地アイドルが全国のファンと交流したり、地元の高齢者がパーソナリティーとして活躍することもできるようになりました。また、就職や進学で地域外に出て行った地元出身者を故郷に呼び戻したり、ほかの地域からの移住者を増やしたりするのにも、地域外への情報発信が一役買っています。地域メディアには今後、地域振興の担い手としての役割も期待されているのです。
大阪学院大学 経済学部 経済学科 教授 森田 健司 先生
新聞もテレビもインターネットもなかった江戸時代、人々はどうやって情報を手に入れていたのでしょうか? この時代の庶民が情報を得る手段、それが「瓦版(かわらばん)」でした。瓦版は、一枚から複数枚の紙に木版印刷された、今でいう新聞に近いもので、「読売」や「絵草子」などと呼ばれることもあります。
17世紀後半から19世紀後半まで、江戸や大阪、京都などの大都市圏を中心に発行されていました。金額は現代のお金にすると100円程度だったため、庶民でも気軽に購入できました。幕府は、瓦版の発行を表向きには禁止していましたが、庶民からの根強い需要があったため、顔を隠した売り子によって、こっそり売り続けられることになったのです。
では、瓦版にはどんな内容が掲載されていたのでしょうか。多かったのが、火事や地震など人々の生活に直結する「災害」に関する記事です。また、人魚など未確認生物に関する記事や、恋愛がらみの事件の記事も人気があったようです。現代人がUFOや超能力といった不思議な現象や、芸能人のゴシップをワイドショーなどで見る感覚と共通するものがあります。ほかにも、幕末に黒船が浦賀沖に来航した際は、船の外観や乗組員の姿などの情報が瓦版を通してどんどん広まりました。2度目の来航の際は、沿岸に出店が出て多くの人が見物に来るほどでした。
このように、瓦版は庶民の好奇心を満たすために非常に重要なものでした。それゆえ、瓦版を研究することで、さまざまなことが見えてきます。例えば、江戸時代の流行や庶民の関心事はもちろん、瓦版を作るために必要な情報伝達の仕組みや印刷技術、庶民の教養や思想などまでわかってきます。瓦版は江戸の庶民文化を読み解くための絶好の教科書だといえるでしょう。
広報メディア学科には東海スポーツという校内新聞があり、私が目指している新聞記者に近づけると思ったから。
自分のやりたい言語や歴史の勉強が出来る学部だったから。
授業にドキュメンタリー番組制作やニュース番組制作があり、充実しているため。
ジェンダーやセクシャリティ、家族、結婚など興味のある分野の授業が充実している。ゼミが1年からあり、充実している。
最初の1年で新聞、広告、マスコミなど様々な分野のメディアを基礎を学び、2年生から各方面に別れて勉強をしていく、ということで、ゆっくり進路を決められると考えました。
自分の希望するメディア関係への就職実績があることに加え、自主マスコミ講座などの就職支援が充実していると感じたから
英語以外の他の言語を学べるから
スポーツ経済学を学べるコースがあったから
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立教大学 社会学部
将来マスコミ関係の職業に就職を希望しており、マスコミに関する教育が充実している立教大学社会学部メディア社会学科が夢に向かって前進する上で適する学校だと思ったから。
メディアについて興味があり、自分の興味のある分野に関して勉強できると感じたので