行為の「理由」をめぐる難問
お年寄りに席を譲った「理由」とは?
例えば、あなたが電車でお年寄りに席を譲ったとします。普通に考えると、席を譲った「理由」とは「お年寄りのためになることをしたい」という考えや心理からでしょう。しかし夜ベッドに入って一日を振り返り、「今日の自分はいいことをしたな」と思うとしたらどうでしょう。そのときには席を譲った「理由」は、「いいことをしたという満足感を得たい」という利己主義的なものだったように思えてきます。あるいは、「周囲の視線が気になって譲ったのかもしれない」と思う人もいるかもしれません。
では、あなたがお年寄りに席を譲った「本当の理由」はどれなのでしょうか?
行為の「理由」を自分だけで決められるか
この問題を考えるときに陥りやすい前提があります。それは「行為の本当の理由は自分が一番よく知っている」というものです。これは正しいでしょうか? 先ほどの例で考えてみましょう。ある人が、自分はお年寄りのために譲ったのだと考えているが、ことあるごとにその話を他人にする、というようなケースです。この場合、私たちは「本当の理由」は「お年寄りのため」というよりは「自分が満足するため」という答えに傾くでしょう。
つまり私たちは、当人が考えているのとは違うものを「本当の理由」だと判断することがあります。そしてその手がかりは、その人が実際に何をしたかということにあるのです。
心の中で考えていることが行為の理由とは限らない
私たちは行為の「理由」とは、行為する際に当人が心の中で考えていたことだと思いがちです。だからこそ、「行為の本当の理由は自分が一番よく知っている」と思うわけです。しかし、私たちが、ある人の行為の「理由」を考えるとき実際にやっていることを見てみると、この前提は疑わしくなってきます。上でみたように、当人が「理由」とは認めないものであっても、行為の「本当の理由」とみなされることがあるのです。
こうして、普段私たちが「理由」について考えていることは本当に正しいのか、という哲学的な問題が浮かび上がってきます。
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立正大学 文学部 哲学科 准教授 竹内 聖一 先生
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