死をみつめる哲学者・田辺元の思想
西田幾多郎の影に隠れた哲学者
日本の近代哲学の始まりは、明治維新の頃に西洋の哲学が輸入されたことがきっかけでした。その後、日本の哲学は西洋の思想の影響を受けつつも、独自の発展を遂げていきます。中でも『善の研究』などで知られる西田幾多郎は人気が高く、国内のみならず世界中から注目され、研究が進められています。それに対して、西田の後輩でありライバル的な存在でもあった田辺元は、日本の哲学における重要な人物であるにもかかわらず、ほとんど研究がなされていません。そのため日本哲学史において、田辺哲学の全容がいまだ明らかにされていないという課題が残されています。
田辺哲学に通底するものとは?
田辺の哲学は、太平洋戦争を挟んだ前期と後期で大きな変化をみせました。前期では国家をはじめとする政治的なテーマを扱い、戦場での死を哲学的に正しいことであると主張したため、戦後は大きな批判にさらされました。その反省をもとに後期では「懺悔(ざんげ)道としての哲学」を展開するなど、宗教への接近をみせました。そのため田辺の哲学は、前期と後期における相違や断絶が注目されがちです。しかし、彼の哲学に一貫して通底しているのが、「歴史主義」という思想でした。あらゆるものが相互に関係しあうという立場の「歴史主義」は、田辺哲学の全体像をとらえる上で重要な柱となっています。
近年注目を集める「死の哲学」
田辺の哲学はこれまでほとんど注目を集めることはなかったものの、最晩年に提唱した「死の哲学」には関心が集まり、近年はさまざまに論じられるようになりました。私たちが人間関係という場合は、当たり前のように生きている人間同士の関係性を前提とします。それに対して田辺は、生きている人と死者との関係性を哲学的に議論していきました。彼が提唱した「死の哲学」は、震災などの災害に直面した人々や、余命がわずかとなった人のためのターミナルケア、そして死別などによる悲しみから立ち直るグリーフケアの観点から注目されつつあります。
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先生情報 / 大学情報
福岡大学 人文学部 文化学科 准教授 竹花 洋佑 先生
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