和歌の美意識が表現する、恋愛の春夏秋冬
季節が移ろう「無常観」から美を見出す
百人一首などの和歌の多くには季節の事象が詠まれています。『古今和歌集』や『新古今和歌集』などの歌は早春から初夏、晩夏へと時間軸に沿った順に掲載されています。和歌の要素である「季節」は、情景を表現しているだけではありません。四季の景色は、美しさとはうらはらに、花が散ったり、葉が落ちたりする変化をともないます。季節が一巡すると人はひとつ歳を重ね、自らの変化にも向き合わされます。昔の人は季節から、常に同じものはなく、命すらもはかないといった「無常観」を感じ取っていました。そして、自然の景物が枯れ、朽ちていくさまを美しいととらえて、「もののあわれ」や「わび・さび」といった美意識へと昇華していったのです。
恋心の変わりゆくさまを四季に重ねる
季節の推移と人間の営みを重ね合わせた表現は、恋の歌からも読み取れます。例えばある一連の歌では、まず「若草のように初々しいあなたを見て、私はとりこになった」と、早春の情景と恋に落ちていく「初恋」の心情を重ねています。ちなみに「初恋」は現代では人生で最初の恋愛経験を指しますが、古典ではひとつの恋の始まりを指します。その後、夏は相思相愛の燃えるような恋、秋は「飽きる」という言葉と掛けて移り気な恋心が表されています。そして冬は気持ちも冷めて恋が破局するのですが、恋が終わる無常観にこそ深い情趣があると考えられていました。
恋愛の最高峰は、片思い?
江戸時代中期、山本常朝(じょうちょう)が武士の心得を記した『葉隠』には、「恋の至極は忍ぶ恋」という一説があります。恋の最高峰は「片思い」であり、自分の恋心を相手に知らせず、相手も知らないまま、たった一人で思い続けることが武士道精神だと言っているのです。自然や人の心が無常であるからこそ、当時の人々が不老不死に強く憧れたように、恋心にも不変を求めたとも言えます。無常観とは、日本人が見出した美、深めていった美意識の根底にあり、古典文学の重要なキーワードのひとつなのです。
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先生情報 / 大学情報
大阪教育大学 教育学部 教育協働学科 グローバル教育部門 特任教授 小野 恭靖 先生
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