究極の地方分権「戦国時代」
なぜ戦国時代と呼ぶの?
織田信長や豊臣秀吉などが活躍した戦国時代は、なぜ「戦国」というのでしょうか。鎌倉や室町、江戸時代は政権の所在地が1カ所でしたが、戦国時代は各地に有力武将が割拠しており名前のつけようがないことが理由のひとつです。また、鎌倉や江戸時代が終わるときは、次の受け皿になる中央政権がすぐに登場しますが、室町幕府では将軍の力が衰えても次の統一権力はすぐには現れず、日本列島は地域小国家に分裂してしまいます。小国家が各地で戦いを繰り返す時代なので、「戦国時代」と言わざるを得ないのです。
そのまま放っておけば、中世のドイツなどと同様、日本も小邦が分立する地域となったのですが、織田信長が天下統一をめざしたことから再び一つの国家へと集約されていきます。ちなみに、織田信長や豊臣秀吉が天下を統一した時代は普通、「安土桃山時代」と言われますが、それは美術史からの言い方で、現在の歴史学界では「織豊(しょくほう)期」と呼ぶことが多いです。
戦国時代は、いつ始まった?
では、戦国時代はいつから始まったのでしょうか。細川氏と山名氏など有力守護大名が戦った応仁の乱(1467年)から始まったという説がひとつです。また、京都の将軍を細川氏が追い出し(明応の政変)、関東で北条早雲が伊豆の堀越公方を攻めた1493年から始まったという説もあります。
応仁の乱の頃まで、各地の守護大名は京都に住んでいました。その頃の大名はお互い顔を知っていた、つまり知り合いであり関心も共有できたわけです。しかし、その後、大名は国元に戻り、領国の支配に専念するようになります。さらに戦国大名の世代交代が進むと、京都を知らないかれらは地元近国しかわからなくなっていきます。
言葉に関しても、京都に集まっていた時代には、在京武士は共通語らしきものを使っていたようですが、戦国時代になると地域ごとにバラバラになっていきます。戦国時代は、まさに究極の地方分権の時代と言えるかもしれません。
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南山大学 人文学部 人類文化学科 教授 青山 幹哉 先生
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