明日のために昨日に学ぶ
パラレルワールドを探る
研究というものは、自然科学であれ、人文科学であれ、どの分野でもこの現代のためにやっているものです。現在の状態の是正、これから先のヴィジョンのために研究はなされなくてはいけません。ですが、現在のために行うはずの研究で、なぜ歴史や古代の文学研究など昔のことが取り上げられるのでしょう? そう感じてしまうのは歴史に対する間違った考え方に問題があります。
私たちは歴史を「進化」の歴史だ、昔よりも今のほうが進化していると考えがちです。確かに目に見えるところではいろいろ改善がされてきました。生活も便利になっています。歴史に対する社会の発想は「進化」が中心です。
しかし、歴史は進化ではなく「変化」なのです。歴史が変わるときにはいくつかの選択肢があります。私たちはその中のどれかを選んで、次に進み、また次の選択肢と相対してきました。
昔の書物を調べると、さまざまな考え方が出てきます。今では考えられないものもあります。それらはただ、選ばれなかっただけです。歴史はたくさん積み残してきた選択肢を私たちに示しています。その中には現代に必要なものもあるかもしれません。現代を考えるためにこそ古代の研究はあるのです。
声高に発言をしてこそ研究
ただ、せっかく研究をしても発表ができる場が限られているという悲しい現実もあります。そもそも、研究は現在と未来のためのものであるという考え方は西洋が発祥で、日本には明治時代に入ってきました。ですから、まだ未成熟なわけです。それに加え、歴史や古典文学が第二次世界大戦において戦争の後押しをしていたという事実があります。天皇中心の歴史観である皇国史観を子どもたちに植え付けてきました。その結果、極力、研究と政治を切り離そうとする動きが主流になりました。
しかし、研究の本来の姿は誰とも会わずにこもって本を読んでいるものではないはずです。いろいろなところへ出て行って警鐘を鳴らし、また新たな問題を見つけることが重要な役割の一つなのです。
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