6文化・教養学

文化学は、衣食住といった生活様式から芸術・宗教などの人間の創り出した文化を、いろいろな角度から総合的に研究する学問です。異なる地域の文化について違いを分析する比較文化学や、生活スタイルや習慣を通して人間そのものを考える文化人類学、庶民の生活文化・伝統・伝承などを研究する民俗学などがあります。文献や資料に基づく分析だけでなく、フィールドワークなどの手段も駆使して研究を行います。
教養学は、複雑化する現代社会のさまざまな問題に対応するため、あらゆる学問領域を横断的に研究対象とし、人間や文化の解明をめざす学問です。研究のためには幅広い視野と、柔軟な思考力が必要とされ、扱う領域が非常に広いため、人間の営みを構成する要素なら、なんでも研究の対象になりえます。
幅広い視野と柔軟な思考力や国際的感覚が培われるので企業の期待度は高く、特に語学力や情報処理能力を備えた学生は即戦力として活躍しています。在学中に教員免許や図書館司書、学芸員の資格を取得する人も多数います。
大正大学 文学部 人文学科 教授 伊藤 淑子 先生
基本的人権は天賦のものですが、1776年の「独立宣言」で、「すべての人間は平等につくられている」とうたうアメリカでも、女性参政権が憲法修正で認められたのは1920年です。男性の付属物のように扱われていた社会で、自らの人権に目覚め、権利の獲得のために活躍した女性たちは、いったいどのように自己をイメージし、どのような表象を広めていったのでしょうか。18世紀末から19世紀初頭に活躍した女性たち、そしてそれを継承する女性たちの足跡を追うことで、その一端が見えてきます。
例えば、アメリカのフェミニズムのパイオニアともいえるマーガレット・フラー(1810~1850)がいます。女性がジャーナリズムの仕事をすること自体が珍しかった時代に、フラーは特派員としてヨーロッパに赴きます。フラーは帰国途中の海難事故で命を落とし、志半ばで人生を閉じますが、いまでもフラーのことばはラディカルさを失っていません。ジェンダーの規範への抗拒の言説は力強く、文化や制度の制約を超越して自己を求めようという強い希求があります。
このようなフェミニズム批評の方法を応用して、現代の表現作品にアプローチすることも興味深いことです。作品には、その時代の女性観が反映されているからです。例えば、ディズニーアニメ作品の中に登場するプリンセスは、比較してみると、『白雪姫』から『アナと雪の女王』まで、それぞれの時代を映しだしていることがわかります。宇宙人を描いたSF映画も、制作された時代の国際状況や他者に対する意識を反映しています。映像化されたイメージは根強く再生産され、人々の意識に残ります。あたりまえのように受け止められているイメージがどのように構築されたものなのか、それを分析することによって現代文化の成り立ちを理解することができます。文化をただ享受するのではなく、批判的に読み解きながら楽しむ姿勢が大切なのです。
横浜市立大学 国際教養学部 国際教養学科 教授 松本 郁代 先生
前近代日本の人々は、自らの「観る感性」にもとづきながら、さまざまな表現様式を作り上げてきました。それは和歌や絵画だけではなく、作法や先例を厳守した儀礼や芸能など、現在では文学や芸術の一分野とされています。その意味をたどれば当時の人々が抱いていた感性やそこに宿る呪的な世界に出会うことができます。
視力とは、網膜に物の形や像を映すことですが、人の視覚は、その形や像の意味までをとらえてきました。この視覚性は、人の「観る感性」にもとづいています。「視覚文化」とは、一つの形や像から連想的に意味が広がり、それが社会的・文化的なネットワークに連結しながら、さまざまな表現様式を流行させた文化史の問題としてとらえることができます。
古語に明暗や色彩を表現する語彙が多くみられたように、人は、目に映る形や像を、コトバや色彩、リズムによって表現してきました。それはまさに人々の「観る感性」が視覚のバラエティーを作り、その視覚性に合った表現様式によって、視覚の文化が形成されていたといえるでしょう。このような「観る感性」を前近代的な「視覚文化」のフレームとしてとらえるとすると、江戸時代に登場してくる肉眼+レンズによる科学的な物の見方は、それまでとは異なる近代的な「視覚文化」のフレームとして考えることができます。
グローバルを地域単位でとらえれば、日本は東アジアの一地域です。現在では日本語となっている中国起源の漢語や仏教用語も、起源をたどれば文化のグローバル化を証明しています。同様に人の「観る感性」は、グローバル化によってどのように変化してきたでしょうか。歴史を通じて先祖の文化的眼差しを学ぶ日本文化史は、異文化との交流や摩擦、相違を学ぶことでもあり、実践的な異文化コミュニケーションのツールとしても考えることができます。
京都大学 総合人間学部 教授 山村 亜希 先生
高校の地理では、基本的に現代の産業や貿易を学びますが、歴史地理学では日本史、世界史と融合して「過去の地理」を研究します。例えば現在の47都道府県の県庁所在地は、ほとんどが近世、江戸時代の「城下町」でした。そうでない都市は札幌、新潟、千葉、横浜、奈良、神戸など少数派です。つまり、私たちは知らず知らずに、江戸時代の遺産の上で暮らしているのです。しかし、金沢のように城下町だと強く意識できる都市もあれば、東京のように意識する人のほとんどいない都市もあり、さまざまです。
江戸時代の枠組みがよく見える歴史都市のひとつが名古屋です。まず名古屋城として思い浮かぶのは、シャチホコのある天守閣(本丸)です。そこを二の丸、三の丸が囲んで名古屋城を構成します。しかし明治維新が起こると、城主の尾張徳川家は華族として東京に移住し、家老たちもそろって爵位(しゃくい)を得て東京に移りました。その結果、名古屋の中心部に巨大な空白地帯が生まれたため、新政府が官有地として入手し、戦後は官庁街となりました。他県でも官庁街の地名が「丸の内」だったり、公立の学校や役所、NHKなどが城の近くに集まっているのはこのためです。
また、現在のJR名古屋駅から伸びる東海道線は、城下町を南から迂回(うかい)する不思議な経路を取っています。一刻も早く鉄道を通そうと、空いていた西側の湿地帯を利用したからです。結果として名古屋の繁華街は、町人地であった東の栄と、新しい西の名駅(めいえき)の2つに分かれることになりました。
このように歴史地理学では、人々の生活を地図から解いていきます。西欧にも城下町はありますが、日本のそれとは大きく異なります。西欧における城下町とは辺境に新たに構築した要塞に人間が入植していく計画都市でした。「城下町」という同じ用語を使っても、文化の違いが表れます。都市の仕組みは一朝一夕で出来上がるものではなく、長い年月の積み重ねの結果なのです。
北九州市立大学 外国語学部 英米学科 准教授 ヘイルズ アダム 先生
「JUST DO IT.」「i'm lovin' it」などのキャッチコピーを広告に用いている、スポーツ用品メーカーやファストフードチェーンがあります。具体的な商品名ではなく、曖昧な「it」を用いているのはなぜでしょうか。DoやLoveの対象をあえてぼかすことで、「より広い層の消費者に共感してもらいたい」という考えがあるのです。
「Drive Your Dreams.」というキャッチコピーを使っている日本の自動車メーカーがありますが、これも、どういう夢なのかをはっきり言わないことで、運転そのものの楽しさや、ドライブ中に目にする景観などを想起させる狙いがあるでしょう。
広告と同様、映画や演劇にも、何かを伝えたい・感じさせたいという思いが込められています。ただ、国ごとの文化や歴史、宗教観によって作風は違っていて、同じようなシーンでも、登場人物がどんなセリフを語るかは国ごとに差があります。
例えば邦画の場合、「悪役」は怖い顔立ちの俳優が、乱暴な言葉づかいで演じるパターンが多いですが、アメリカやイギリスの映画で、「いかにも悪役」といった感じのシーンはあまり見られません。ホラー映画も、日本はジワジワと恐怖を感じさせる作品がほとんどですが、アメリカ映画はダイレクトに観衆を怖がらせます。
映画や演劇の場合、その作品が作られた時代の世相も反映します。例えば戦争映画の場合、その国が直面している社会問題を、史実と織り交ぜて描いた内容が目立ちますし、大人と子どもが一緒に楽しめるようなアニメーション作品では、家族を取り巻く子育て環境や教育問題など、親子で話し合って何かを感じるようなテーマが隠れています。
英語圏の映画や演劇、広告などを題材に、「どんな狙いでその表現を選んだか」を分析するのも、英文学の研究ジャンルの1つなのです。
九州産業大学 地域共創学部 地域づくり学科 教授 末松 剛 先生
日本にはさまざまな祭礼があります。春なら予祝祭、秋は収穫祭、年末年始やお盆の祭り、夏には祇園(ぎおん)祭もあります。それぞれの祭りには目的があり、予祝祭では豊かな実りを祈り、収穫を祝う祭りは「おくんち」とも言われます。祇園祭は疫病や災厄の除去を願う祭りです。これらの祭りは、地域によってセリフや所作、装束に特徴的な「型」をもち違いがある一方で、信仰として広がったことから共通点も見られます。
祭礼は地域に密着した文化です。老年、壮年、青年、少年、幼年と各世代に役割があり、親から子へと代々伝えられます。その中身は体験と口承で伝えられることが多く、そのため、担い手がいなくなると立ち消えてしまいます。
そうならないための一つの方法として、祭礼を文化財に指定し、地域の人々の結束を図り、共同体の中での自分たちの文化を見つめ直す機会を提供することがあります。指定までの過程で、祭礼の担い手と有識者が協力して、歴史を調べ祭礼の型を記録し、自分たちの祭礼のどこに特色があり、どう変わってきたかを明らかにしていくのです。
福岡県宗像(むなかた)市の「八所宮御神幸(はっしょぐうごしんこう)行事」もそのひとつです。この祭礼は200年以上の歴史をもつ「おくんち」です。祭り前夜に行われる「古式大名行列」は、大名行列の奴(やっこ)振りを真似たものです。同じような御神幸は日本各地にありますが、多くは観ている人に絡んだり、おどけた化粧をしたりします。しかし八所宮の場合はそのような要素はなく、型どおりに練り歩く硬派の奴振りです。御神幸には奏楽や獅子楽という音楽もあります。また、「浦安舞」と呼ばれる巫女(みこ)舞も奉納されます。これらを総体として文化財に指定しようという取り組みが進んでいます。
国際教養と一言で言っても心理学や法学など、学べるものの範囲がとても広い横浜市立大学の国際教養学部を選びました。
幅広い学びが可能なコース選択が魅力的だったから。
総合人間学部では様々な分野の勉強を行うことができ、複数の分野に興味を持ち、融合的に学びたい私にとって最適な学部だと考えたからです。
大学そのものが自由の校風のもと、高度な教育・研究を行っていることに加え、学際的な学びの場として、特色的な総合人間学部を設置していたから。
外国語学部の知名度が高く、語学力を伸ばす教育制度や留学制度が充実しているため。
高校までの読み書きにこだわった英語の授業ではなく、より実践的で今後の生活に役立つような英語力を身につけられることです。
たくさんの学問知識を履修できるところに魅力を感じたため
将来性の幅広さや、生徒に対する先生の人数が多いこと
宮崎公立大学 人文学部
言語から文化、メディアなど多様なことを学ぶことができ視野を大きくでき、将来の進路選択時に役立つと考えたから。
外国の異文化を学ぶのに適していると感じたから