皇妃エリーザベトは本当に自由奔放な女性だったのか?
手紙からわかるマリー・アントワネットの実像
近代ヨーロッパの宮廷女性は時間を持て余しており、よく日記や手紙を書きました。そうした直筆の文により人物像が明らかになった女性は数多くいます。フランス王妃マリー・アントワネットもその一人です。マリー・アントワネットといえば享楽的な女性というイメージで、実際にフランス革命以前の手紙からはそうした人柄がうかがい知れるのですが、革命以降はガラリと人が変わります。一転して政治に対し深い考察を見せ、さすがは18世紀オーストリアの国政を取り仕切ったマリア・テレジアの娘だと感じさせる文面になっているのです。
謎に包まれたエリーザベトの心中
マリア・テレジアやマリー・アントワネットの生まれたハプスブルク家は、中央ヨーロッパに帝国を築いた名門の王家です。19世紀半ば、そのハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世に嫁いだエリーザベトは、間もなく夫の皇帝と不仲になり、姑との折り合いも芳しくありませんでした。宮廷生活にもなじめず、頻繁に旅行や移住をしたようです。彼女は日々どんなことを考え、悩んでいたのでしょうか。エリーザベトは自身の心情を込めた詩を書いていました。詩ですから書く頻度も多くなく、解釈が難しい文もあります。そのため、これらの詩だけでは、おぼろげな人物像しか見えてきません。
その生涯が創作物の題材に
エリーザベトは自身の死後に手記を処分してくれるよう頼んでいたことから、そのほとんどが失われています。一部、残っているものもあるのですが、今も続くハプスブルク家の家中に眠り、公開されていません。では当時、周囲の人が彼女をどう見ていたかというと、面白いほど意見がバラバラなのです。「優しく上品だった」と褒めている人もいれば、「自分勝手でとっつきにくい人だった」と評している人もいます。ウィーンに寄り付かず、旅先で暗殺されるなど、ドラマ性に富んだ彼女の人生はミュージカルや演劇の格好の題材となり、ファンの多い日本では何度となく上演されています。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。
先生情報 / 大学情報
清泉女子大学 総合文化学部 ※2025年4月開設 総合文化学科(文化史領域) 教授 大井 知範 先生
興味が湧いてきたら、この学問がオススメ!
西洋近代史、女性史先生が目指すSDGs
先生への質問
- 先生の学問へのきっかけは?
- 先輩たちはどんな仕事に携わっているの?