日本の女子スポーツを変えたのは誰? 未来を創造する歴史研究
女子スポーツ界を切り拓いた選手
現在、私たちは男女に関わらずほとんどのスポーツに参加できますが、日本の女性がスポーツに参加できるようになったのは1920年以降でした。その転機となったのが1928年アムステルダムオリンピックです。日本女性初のオリンピック出場を果たした人見絹枝(ひとみきぬえ)さんは、陸上競技800mで2位になりました。しかし優勝候補だった100mで決勝進出を逃し、このままでは帰れないと800mへの出場を決意します。彼女は1931年に逝去しますが、1932年ロサンゼルス大会には計15名の女性が出場を果たし、1936年ベルリン大会では水泳の前畑秀子(まえはたひでこ)さんが金メダルを獲得しました。
女子スポーツと組織化
1910年以降には日本でもスポーツ組織が誕生していきましたが、世間は女性がスポーツをすることに否定的でした。それでも世界で通用する実力をもった人見さんの国際大会出場を支援しようと1926年に日本女子スポーツ連盟が設立されました。国際大会に選手を派遣するためには、国際競技団体に加盟する国内組織が必要だったからです。1929年には元水泳選手である女性たちによって日本女子水上競技連盟が設立され、女子競技会が始まりました。この2つの女性スポーツ組織は後に男性を中心とする競技団体に吸収されますが、女性のスポーツ参加を可能にした点で、両者の果たした役割は大きかったといえます。
スポーツの未来を創造するために
男性を中心に発展してきたスポーツ組織では、現在も意志決定に関わる女性は多くありません。組織内の女性の割合を高めようする動きはみられますが、単なる人数あわせになってはいけません。意志決定に携わる女性が少ない原因のひとつに、組織で活動する経験や教育機会が少なかったことがあります。そのため、各競技団体では女性役員や多様な人材を育成するなど、ジェンダー平等に向けた取り組みを始めました。このように歴史を振り返ると、課題の背景や未来を創造するためにすべきことがみえてくるのです。
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先生情報 / 大学情報
東海学園大学 スポーツ健康科学部 スポーツ健康科学科 准教授 木村 華織 先生
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