防げたかもしれない悲惨な事故・事件、その場にいた人の責任は?
それって誰の責任?
昭和55年、京阪電鉄の急行電車が、レール上の石により脱線転覆し、乗客104人が負傷しました。この事故は中学生5人による「置石」が原因なのですが、線路付近にいたのは3人で、置石をしたのは1人でした。そのうち1人は、別の場所にあった置石を取り除きました。線路に入らなかった2人は置石をやめるよう注意していました。さて、法的責任を負う可能性があるのは5人中何人でしょうか。答えは「5人全員」です。最高裁判所は、置石行為を現に知り、事故の発生についても予見可能であった場合などには、「置石を認識し、除去する義務」を負うと判断しました。
その事件は防げたのか
別の事例を見てみましょう。平成13年、1人の高校生が少年2人から暴行され亡くなりました。現場に呼び出され、暴行を見ていたほかの少年3人は、「暴行を止めず、救急車を呼ぶなどの救護措置も取らなかった」として訴えられました。3人には法的責任があるのでしょうか。最高裁判所は、次のように判断しました。すなわち、3人の少年が加害少年らに対する恐れを抱いても仕方ないことであり、3人を非難することはできない、と。しかし、実はこの事件では、5人中2人の裁判官は、救急車を呼ぶなど通報することはできたとして、3人の責任を肯定しました。1人でも意見が違えば、判決は変わっていたのです。
目の前に危険を発見したら
「自分が何もしないと悪いことが起こる」とわかっていても、実際に行動を起こせるかどうかは別の話です。法律で義務づけてしまうと、行動の自由がなくなります。しかし、何のルールもなければ、防げるはずの事故や事件が野放しになるかもしれません。これについて、民法学では何十年も前から議論がされていますが、今も共通見解はありません。事案によって、状況が異なるからです。一つ一つの事例を丁寧に見て、研究を蓄積することが必要です。「助け合いが必要だ」という前提の下、いかなる場合に義務を負うのか、より多くの人が納得できるような法的基準の確立が求められています。
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