グローバルな法秩序から日本の法や国家はどう見える?
国内法と国際法の関わり合い
現代日本の国内法には、国際法の要請に応えるために作られたものが数多く見られます。例えば、組織的犯罪処罰法上のいわゆる「テロ等準備罪」は、国連国際組織犯罪防止条約の批准に伴って設けられました。国内法は、民主主義的手続によって各国の国民が国ごとに作るものだと考えられてきましたが、グローバルな社会的要求に応えるかたちで、今や国際法と国内法とは密接に結びついています。
でも、それは国内の民主的な手続や法のありかたを変えてしまうかもしれません。また、そもそも国際法を通じた協力が「正しい」といえるとしたら、その根拠はどこにあるのでしょうか。ここでいう「正しさ」とは、目標そのものの正しさではなく、「法なんだから従うべきだ」といえるための根拠、つまり正統性を指します。
それは法なのか、不正義ではないのか?
ところが、そもそも国際法が法なのかどうかは、長い間論争の的でした。しかも、近代国際社会は植民地支配の時代を経験していますし、いまだに巨大なグローバルな経済的不平等を抱えています。そのため、国際法は法ではないのではないかという疑問に答えるとともに、なぜ植民地支配の歴史や現在の深刻な不平等があるにもかかわらず、国際法を尊重すべき理由がどこにあるのかを明らかにする必要があります。
日本は人権保障が不十分?
20世紀前半までの国際法は、国家同士の関係を規律するものだとされ、国内で個人がどのような状況にあっても問題にはされませんでした。しかし、現在、最低限の人権はどの国内においても守られるべきだと考えられるようになっています。人権を保障しないような国家は、いわば暴力団のようなものだと見られてしまうのです。
では、日本はどうでしょう。日本にも難民として来ている人たちがいますが、収容施設に入れられたり、施設外にいるとしても生活のために働くことが禁止されていたりします。彼らが本当に難民かどうかを別にしたとしても、これで人権を保障しているといえるでしょうか。国民の人権はどうでしょうか。
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