中央集権か地方分権か 秦・漢時代の統治体制を読み解く
統一後、わずか15年で滅んだ秦
古代中国の戦国時代を経て、秦の始皇帝は初めて中国を統一しました。秦は「郡県制」による中央集権的な方法で国を統治しようとしましたが、わずか15年で滅んでしまいます。中央集権的な統治とは、モノや情報を中央に一度集めて、地方に配り直す方法です。現代で言えば、どこに住む人もパスポートを作りに必ず東京に行かなければいけないようなもので、とても大変なことです。新幹線もメールもない時代に、広い国土でこの方法で統治するのはとても負担が大きいもので、このことが秦が早くに滅んでしまった一因だと考えられます。
なぜ漢は地方分権を選んだのか
秦が崩壊した後の漢の時代は、約200年続きました。漢の時代の初期には、60年ほど「郡国制」と言われる統治をしています。国の直轄領も持ちつつ、地方分権的に統治する方法です。郡国制は、中央集権ができないことから緊急避難として地方分権的な統治をしたものだと、以前は消極的に考えられていました。しかし、この60年に負担の少ない形で統治し基礎を築いたからこそ、再び中央集権体制に移行した際に漢は崩壊しなかったのです。その結果、中国的な皇帝体制が出来上がりました。こうした「中央集権か地方分権か」といった問題をはじめ、しばしば現代的な問題ともリンクすることがあるのです。
古代中国の人々の本当の姿
今までこの時代の研究は司馬遷の『史記』を資料として読むことが中心でした。しかし、20世紀の後半くらいからは木簡などの新しい出土資料が出てきたため、今まで見えていなかった地方統治のあり方や律令がわかってきました。そうした資料を使って、『史記』を別の視点から見直していこうという考え方が現在のスタンダードになりつつあります。司馬遷の歴史観から離れてもう一度資料を読み込むことで、この時代に生きた人たちがどういう時代に生きていて、彼らが作り上げた漢という国はどういう国だったのか、本当の姿が見えてくる可能性があります。
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先生情報 / 大学情報
福岡教育大学 教育学部 社会科教育研究ユニット(専門:東洋史) 教授 杉村 伸二 先生
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