民衆は褒めて統治せよ! ~江戸時代の民衆の心をつかむ技~
藩政の求心力は祖先の権威だった
薩摩藩・長州藩は、幕末に大きな力を持ち、幕末・明治維新をリードしていきました。藩政改革の成功と多くの人材に恵まれていた両藩ですが、こうした大藩が指導的な地位を築いたのも、それにふさわしい意識を創り出していたからではないかと考えられます。それを「祖先の力」とみて、彼らのエネルギーの源を探ってみると、薩摩藩は源頼朝にゆかりのある人物島津忠久を祖先として崇敬していました。長州藩も、中国地方を制覇した毛利元就やその子孫を崇敬することで、藩を一致団結させようとしていました。このようなそれぞれの家の祖先を顕彰する動きが「王政復古」への流れをつくっていくのです。
「褒めること」は君主の仕事
江戸時代の君主は中国の政治理念を踏襲し、褒めるべき人は褒め、罰する人は罰するという「信賞必罰」を実践していました。特に名君と呼ばれる藩主は、帝王学を幼少の頃から学び実践していたのです。徳川将軍は、全国の善行者を記録するという大事業を行い、諸藩も領内の善行者を表彰し記録してきました。「親孝行をした人」「農業に尽力した人」「地域のために尽くした人」などを褒めることで、民衆から統治を正式なものとして認められていたのです。
「褒賞」制度は、寛政の改革の時には幕府が大々的に行いましたが、各藩に独自の褒賞方法もあります。例えば、鳥取藩では毎年宗門改の時に善行者を褒め、悪事をする可能性がある者を地域の人々の目の前で罰するという独自の方法をとっていました。
褒賞制度から見える、時代の価値観
褒賞という制度は近代に入ってから整備され、現在私たちは「春の叙勲」「秋の叙勲」として毎年見ています。天皇が国民を褒める「勲章」「褒章」制度がつくられてからも、江戸時代以来の「親孝行な人」なども褒賞されていました。こうした「親孝行」「老齢者」への尊敬が薄れていくようになったのは、戦後からです。このように近世や近代そして現代と「褒めること」から当時の人々の価値観をうかがい知ることができるのです。
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鳥取大学 地域学部 地域学科 国際地域文化コース 教授 岸本 覚 先生
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