量子力学が解き明かす呼吸の秘密
電子伝達系と「¹H⁺」
細胞レベルでの「呼吸」とは、主にミトコンドリアで行われる「グルコースなどの有機物が酸素によって酸化され、そのエネルギーを利用してATPが合成されるプロセス」です。ATPの合成は、ミトコンドリアの内膜を挟んでの「プロトン(¹H⁺)」の濃度勾配を利用して行われます。この¹H⁺濃度勾配は、ミトコンドリアの内膜に存在する複数の複合体(I、II、III、IV)の間を電子が伝達される過程で、¹H⁺が膜間腔(まくかんくう)にしみ出すことで形成されます。複合体IVはチトクロム酸化酵素とも呼ばれ、ここで酸素が水に還元されます。
¹H⁺移動経路は一つじゃない!
従来、チトクロム酸化酵素内を¹H⁺が移動する経路は、水素結合ネットワークを介するものだけと考えられていました。ところが、実際にはペプチド結合を通じても移動できることが明らかになりました。この経路は、ペプチド鎖が特殊な折れ曲がり方をする「Ω(オメガ)ターン構造」によって実現しています。このことは、ある種の堅固なループ構造がタンパク質の主鎖にあれば、¹H⁺は共有結合を介して運ばれる可能性があることを示唆しています。
量子力学的アプローチの威力
この新経路の発見には、シュレーディンガー方程式に基づく「量子力学的計算」が決定的な役割を果たしました。チトクロム酸化酵素のX線構造解析により、ペプチド結合を通る経路の存在が予想されましたが、発表当初は懐疑的に受け取られました。その後、量子力学の第一原理計算により、¹H⁺移動の過程において電子が¹H⁺の動きをアシストすることで、ペプチド結合を通過できることが明らかにされて経路の存在が確認されたのです。
生命現象の一部を量子力学的アプローチで理解できることは、シュレーディンガーが1944年に著書『生命とは何か』で議論した、生命の物理学的理解への大きな前進となりました。この知見は生物物理学にとどまらず、新しい医療技術や創薬への応用も期待されています。
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先生情報 / 大学情報
名古屋大学 工学部 工学研究科 物質科学専攻 教授 白石 賢二 先生
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