不可視の世界を探る
Man is mortality.
人の未来を占って必ず言えることは、われわれはいつかは必ず死ぬということです。しかし厳密に言うなら、われわれが経験する死はあくまで「他者の死」で、「自己の死」は経験できません。なぜなら「自己の死」の瞬間、その死を迎える主体となるわれわれは消滅してしまうからです。
それゆえ、われわれは「他者の死」を通じてやがて訪れる「自己の死」を想像するのですが、将来訪れるであろう「自己の死」を見つめることは、逆に自己がいかに生きるかを見つめ直すことになります。このように、死を見つめつつ、いかに生きるかという想いは「死生観」と呼ばれます。
このような観念は、文化的な相違が顕著に現れます。世界中どこでも人は亡くなりますが、「他者の死」を通じて形成される「死生観」は、群れて住む身近な人間集団の価値観を反映するからです。
モノを通じてココロを読む
「先祖とは誰か?」こう聞かれたら、あなたは何と答えますか? 先祖に対する観念、すなわち「先祖観」は、長年研究されてきた難しい問題でした。観念ゆえに不可視の「先祖」は、人によって、さらには同じ人でも時と場合によってさまざまに考えられているからです。そこで、業(ごう)を煮やしたアメリカのR・J・スミスという文化人類学者が発想の転換をしました。日本人が「先祖を拝む」と言って仏壇を拝むことを根拠に、仏壇に祀られている位牌を先祖の象徴物と見なし、それが拝む人といかなる関係の人かを調べることで、日本人の先祖の具体像を明らかにしたのです。
この手法は、まさに“目から鱗(うろこ)”でした。目に見えない観念を、正面突破で観念の問題として扱うのではなく、観念に基づいて作られたモノを通じてその背後にあるココロを探るという手法。これは、宗教という不可視の価値観を扱う研究において、新たな視点を提供する有効な手段であったのです。
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