世界一のベストセラー『聖書』の翻訳事情
God=神? God=仏?
世界中でもっとも多くの言語に翻訳されている本は、キリスト教の『聖書』です。翻訳の要は、翻訳された言葉が原語の意味する概念を正しく伝達できているか否かにあります。その意味からすると、キリスト教で天地の創造主とされる「God」の訳語選択は『聖書』の翻訳における重要課題の一つでした。
日本語では、「God」に日本固有の信仰であった神道から「神(カミ)」という言葉が当てられて定着していますが、もちろんキリスト教の「唯一神」と日本の「八百万(やおよろず)の神」との間には大きな隔たりがあります。これに対し、モンゴルにおける『聖書』の翻訳過程では、「God」をチベット仏教でいう「仏様」と訳出する場合もありました。異文化の宗教が受容されていく過程では、既存の語彙を使用しての訳出は限界をともない、時には既存の語彙の意味拡充をももたらすことになったのです。
国によって違う、『聖書』の人気フレーズ
聖書の翻訳については、ほかにも面白い問題があります。キリスト教徒のお墓に『聖書』の一節を刻む習慣は、各国に見られます。日本の場合、お墓に刻まれるメッセージとしては、『ヨハネによる福音書』第11章25節の一節「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」がずば抜けて多く見られます。これに対し、同じくクリスチャンの墓碑銘をインドネシアで調査した結果からも上記の一節は多く見られたのですが、それよりも『フィリピの信徒への手紙』第1章21節「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」の方が数多く見られました。ちなみに、この章句は日本の墓碑銘ではほとんど見られない一節です。
このことが示すように、同じ『聖書』の一節であっても、日本人とインドネシア人との間で心の琴線に触れる部分に違いが見られます。おそらく、そのような傾向の背後には、『聖書』翻訳時になされた訳語選択の問題が作用しているのでしょう。
※夢ナビ講義は各講師の見解にもとづく講義内容としてご理解ください。
※夢ナビ講義の内容に関するお問い合わせには対応しておりません。