ひきこもりについて、哲学的に考える
哲学とは? 「トロッコ問題」から考える
「トロッコ問題」とは、哲学者が提起した思考実験です。暴走する列車の前の線路上に動けない5人がいます。スイッチを押すと支線に誘導できその5人を助けることができますが、支線にも動けない1人がいます。あなたはスイッチを押して、1人を犠牲にして5人を助けますか? スイッチを押さずに5人を犠牲にしますか?
迷うかもしれませんが、直感的にどちらがより正しいかを判断できると思います。判断できるということは、正/悪の基準(根拠)を理解しているはずです。しかし、その基準を言語化しようとすると、なかなか難しいですよね。
このように「不明確な基準(根拠)」を、言語化して明確化していくことが哲学という学問の目的の一つといえます。
ひきこもりは怠けか?
一見すると、ひきこもっている人は、やるべきこと(例えば、学校に行く)をせずに「怠け」ているようにも見えます。しかし、ひきこもりの人の多くは深い葛藤や強い焦燥感を抱き、苦しんでいます。自分でひきこもっている(ように見える)にもかかわらず、どうして苦しいのでしょうか?
また、ひきこもっている人々の多くが、望んでではなく、そこから抜け出したいと強く願いながら、どうしてもできないとすれば、それはなぜでしょうか? さらには、ひきこもりを脱することは自分だけでは不可能で、「第三者の介入」が必須とされるとすれば、どうしてでしょうか?
学校に行けない=「普通ではない」のか?
高校生が学校へ行けないことは「普通」ではないと考えられ、ひきこもりの方はその「普通」ではないことに苦しんでいます。「ひきこもりの哲学」では、「普通」がどのように成立しているのかを哲学的に考えることで、ひきこもることがなぜ「苦しい」のか、そこから脱することが一人では難しい理由を明らかにします。社会が規定した「普通」の構造を理解することは、「普通」という意味を緩め、「普通」ではないことに苦しんでいる人の「生きにくさ」を緩めることにつながります。
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立正大学 文学部 哲学科 准教授 木村 史人 先生
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