デモ活動やストライキが生まれた時代のイギリス社会のデータ分析
抗議行動とは
学生や市民が人を集めて、社会への不満やその改善を訴える行動を「抗議行動」と言います。抗議行動には穏やかなものから暴力的なものまでさまざまなものがあります。また、抗議行動の主体も多様ですし、抗議の対象も学校や企業、政府といろいろです。
社会学で抗議行動を分析するのに、新聞などから抗議行動の記事を集め、「いつ、どこで、誰が、誰に、どのような手段で、なぜ」という項目で分類し分析する方法があります。これを「イベント分析」と言います。
イギリスの抗議行動の変化
この手法で、18世紀後半から19世紀初頭まで、つまり産業革命期のイギリスでの抗議行動のデータを見ると、興味深いことがわかります。
まず18世紀には、一般民衆が地元の商人や土地を所有する貴族、そして地元政府の役人などに対して、石を投げたり火をつけたり家の窓を割ったりといった、暴力的な抗議が多数を占めています。しかし、19世紀になると、公開集会や嘆願活動のような暴力を用いない穏健な形の抗議行動が主流になってきました。なぜ、このような変化が起きたのでしょうか。
これには、イギリスの政治体制の大きな変化が関連しています。権力が国王や貴族から議会へ、地元の政府や領主から中央に移動していったのです。これに対応して、民衆の抗議行動も暴力的なものから議会に対して訴える形に変化していきました。
数値データだから見えてくる変化
食料など生活必需品を握っている商人や地元の役人などが抗議の対象なら直接その対象相手に暴動をおこす手段が有効なこともありましたが、議会が力を持ってくると、ものごとを変えるにはロンドンにある議会に圧力をかけなくてはならないと国民が理解し始めました。それにより、嘆願や集会といった形の抗議行動が増えていったのです。
このように新聞記事という質的データを数値化するイベント分析を用いることで初めて見えてくることはたくさんあります。現在は、こうした過去のデータだけでなく、リアルタイムの抗議行動をデータ化するための研究も進んでいます。
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