オスマン帝国にみる「多文化共生社会」
多様な人々を内包した帝国
日本に住んでいると、「多文化共生社会」という環境がどのようなものか、ピンとこないかもしれません。しかし、世界の歴史を見てみると、日本のように同じ文化を持った人が多く集まっているのが例外的で、ひとつの地域にいろいろな文化的背景を持つ人が住んでいることの方が多いのです。なかでも多様性の度合いが高かったのがオスマン帝国です。1300年頃に建国され、1922年に滅亡するまで、オスマン帝国では600年以上にわたって多様な文化的背景を持つ人々が混在していたのです。
多宗教・多民族・多言語の縮図「イスタンブル」
オスマン帝国と聞くと、トルコ人だとかイスラーム教徒の国というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。しかし、その支配層はさまざまな民族の人々から構成されており、その統治下には、宗教や民族、言語の面で多様な人々が暮らしていました。首都のイスタンブルを見てみると、イスラーム教徒が人口の半数から6割程度を占めたものの、それ以外にギリシア人やアルメニア人といったキリスト教徒、ユダヤ教徒も多数おり、それぞれが自分たちのモスク・教会・シナゴーグで礼拝をし、それぞれの言語を用いて暮らしていました。
「多文化共生社会」に対する想像力
こうしたイスタンブルの都市社会は、帝国の支配層が都市社会に必要な人材を、宗教や民族の区別なく帝国各地から集め、また外国からも受け入れていった結果としてできあがりました。それは、住民の均質化をめざすのではなく、むしろ必要とされる能力を持った人々を、その文化的背景にかかわりなく活用するというオスマン帝国のあり方を反映していると言えるでしょう。現代の社会では、人口の流動性が高まり、異なる文化的背景を有する人々との接触が増えています。こうしたなか、歴史を学んでみることで、多文化共生社会に対する想像力を育むことには意義があるのです。
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先生情報 / 大学情報
大阪公立大学 文学部 哲学歴史学科 准教授 上野 雅由樹 先生
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