アラブから世界へと続く「鷹狩の道」、その終着点が日本!
鷹狩文化はアラブから日本へ伝播
鷹狩とは、飼いならした鷹を放って獲物を捕らえさせる狩猟技法です。鉄砲が発明される以前には、弓矢よりも射程距離が長く、きわめて効率的な狩猟方法でした。鷹狩の歴史は数千年前のアラブにさかのぼると言われています。それから世界各地へ広がり、やがて日本にも伝播しました。従来は、朝鮮半島から伝わったと考えられてきましたが、近年の研究では、朝鮮半島を経ずに、大陸から日本海への交易ルートで伝えられたという説が有力のようです。アラブから世界中へと鷹狩が伝播していったルートは「鷹狩の道」と呼ばれます。日本は、その終着点ともいえます。
天皇の権威の象徴として
日本の鷹狩は世界的に類を見ない独特の文化儀礼として伝承されるようになりました。平安時代には、鷹狩は天皇の専権行為でした。それは狩猟でも娯楽でもなく、国を治めるための鎮魂の儀礼であったと考えられます。やがて時代が下ると、摂政、関白、大臣、将軍といった地位にある人に、天皇に代わって国を治める権限とともに、鷹狩を催す資格も許されるようになりました。鷹狩は、いわば天下人としての権威を象徴するステイタスの一種でした。戦国武将たちが鷹狩を好んだのも、天下人をまねたからです。徳川家康は、天下を獲ると、名だたる鷹匠たちを大勢召し抱えました。鷹匠の中には数千石の高禄で召し抱えられた者もいます。
鷹狩がユネスコの無形文化遺産に
中東諸国やヨーロッパ、アメリカなどでは現在でも鷹狩が広く行われています。2010年にはアラブ首長国連邦、フランス、イタリアなど11カ国が共同申請し、鷹狩はユネスコの無形文化遺産として登録されました(2014年現在は13カ国)。日本では鷹狩に対する社会的な認知度が低く、残念ながらこれにはまだ加盟していません。しかし、独特の文化儀礼として「技」と「心」によって伝承されてきた日本の鷹狩は、世界各国から高く評価されています。
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先生情報 / 大学情報
静岡文化芸術大学 文化政策学部 国際文化学科 教授 二本松 康宏 先生
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