鬼の翔けゆく虚空(そら)、異形の文学―平家物語を読み解く―
「風景」へのこだわり
平家物語には「剣巻(つるぎのまき)」という異伝があります。渡辺綱(わたなべのつな)という武士が京都の一条の戻り橋で鬼と出会い、その腕を斬るという話で、やがて鬼は綱の伯母に化けて綱の館へ腕を奪い返しに来る……。
綱が鬼と出会った一条の戻り橋は、古くからあの世とこの世の境界と信じられていた場所で、陰陽師・安倍晴明が式神を封じ置いたとか、百鬼夜行が目撃されたとか、さまざまな怪異が伝えられています。物語の「風景」に注目するならば、渡辺綱がなぜ戻り橋で鬼と出会ったか、その必然性が見えてきます。
鬼、水神、河童、水辺の鎮魂、鬼の同族
鬼は戻り橋のたもとで腕を切られましたが、各地に伝わる「河童の妙薬」や「河童駒引き」という昔話の中には、これによく似たモチーフがあります。川で悪さをした河童が、腕を切られるが、のちに悪さを詫びて腕を返してもらうという話です。河童はお礼に妙薬の作り方を教えました。河童は水神の零落した(おちぶれた)姿です。「腕を切られる」という説話のモチーフは、水辺における水神の祭祀と関わるもののようで、鬼の腕を切ったとされる渡辺綱の渡辺氏は、水神を祭祀し、水辺の鎮魂をつかさどる一族であったという説もあります。鬼を討つ者としての必然性が、そのあたりにも見え隠れしています。
天井裏から鬼の翔けゆく虚空へ
渡辺綱の館で腕を奪い返した鬼は、天井裏へと翔けあがり、破風を蹴り破って、虚空へ飛び去っていったといいます。なぜ天井裏なのか? なぜ破風を蹴り破ったのか? 古い時代、天井裏は一つの異空間と考えられていました。ですから、そこには不思議な神々が祀られていました。河童のミイラや三本指のわら人形、鯉のミイラなど……。鬼は水神の同族であり、河童とも同類です。天井裏は鬼にとっての祭祀空間であったといってよいでしょう。平家物語の中では「秘伝」とされた「剣巻」の背後には、古い日本人たちが当然のように抱いていた世界観が満ち満ちています。それを解き明かしていくのが伝承文学の試みなのです。
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先生情報 / 大学情報
静岡文化芸術大学 文化政策学部 国際文化学科 教授 二本松 康宏 先生
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