お米づくりが日本の農業の主役となったわけ

お米づくりが日本の農業の主役となったわけ

お米づくりを選んだご先祖様

古来、日本は「豊葦原の瑞穂の国 (とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれていました。瑞穂(みずほ)はイネの穂のことです。このように日本の農業=稲作というイメージが強いのですが、稲作は、もともと日本で始まったものではありません。縄文時代の終わりに大陸から日本に伝わったとされ、この頃には、イネ以外の主食となる作物もいくつか存在したことがわかってきています。それでは、なぜ、私たちのご先祖様たちは、イネと水田でのコメづくりを選択したのでしょうか?
その理由には、イネの高い生産性が挙げられます。イネは一粒の種子から1000~2000粒を容易に得ることができます。また、水田を作ることにより、連続してイネを収穫することができました。その結果、多くの人口を養うことができる高い生産力(余剰生産力)が生まれました。
このように、コメづくりを選択したことが、人口の集中を可能とし、里ができ、村となり、都市や国といった現在につづく社会の発展をもたらしたと言えるでしょう。

江戸時代の稲作はエコの究極

農薬や化学肥料が発明されたのは現在から100~150年くらい前のことです。したがって、江戸時代には、農薬も化学肥料もありませんから、当時の農業は、今でいう完全有機農業であったと言えるでしょう。
記録を見ると、当時の江戸では、身のまわりにある有機物(人の排泄物も含まれる)の管理や農業への活用が高度に行われていました。ちなみに、当時のお米の収穫量は、現在の約半分(1000㎡当たり約200~250キログラム)であり、現在の水準から見ても、十分な生産力と評価できるでしょう。
このように、江戸時代の稲作は究極のエコ農業であったのです。

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宮崎大学 農学部 附属農業博物館 教授 宇田津 徹朗 先生

宮崎大学 農学部 附属農業博物館 教授 宇田津 徹朗 先生

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メッセージ

人口爆発による食糧不足や地球温暖化などによる環境の激変などが叫ばれる今、21世紀も人類が地球上で生きていくためには、環境と調和した農業の確立が不可欠です。そうした意味で、農学は21世紀の最もトレンディーな学問といえるでしょう。また科学技術が発達した現在でも、農業は地域の環境に応じて植物の力を最大限に引き出す伝統的な技術の上に成り立っているのです。さらに工業製品とは異なり、社会システムなどに大きく左右されますので、生物に興味を持つ人はもちろん、社会への関心の強い人が農学に向いていると私は考えます。

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宮崎大学は、「世界を視野に、地域から始めよう」のスローガンのもと、人的・知的・物的資源を共有し、機能を相補します。(1) 教養教育の一層の充実と質的向上、(2) 教育・研究基盤の強化、(3) 学際領域の教育・研究の強化と創出、(4) 地域および国際社会への貢献、を具体的な目標として、21世紀を展望しつつ、知の創造の殿堂として、活気に溢れ、魅力に満ちた学風と輝くキャンパスを築きます。また、地域と連携して宮崎の文化と風格を高めることを目指しています。