誰が、なんの目的で作ったのか? 暦に隠された謎を解く
平安時代の暦を作ったのは陰陽師
平安時代、呪術を使って怨霊(おんりょう)などを退治したとされる陰陽師(おんみょうじ)は、陰陽寮という機関に所属する官僚でした。陰陽師は政治アドバイザーとして天皇や貴族を競争相手から守るために呪術や占いを使うほか、天体観測・時間の計測・暦の作成などを行う科学者でもありました。安倍晴明もそうした陰陽寮の役人でした。陰陽師が行うことは、中国や朝鮮半島から伝わった陰陽五行などの知識に基づいており、陰陽師はその知識から「この日はこの方角に神様がいるから出かけてはいけない」「天体に異変があれば、地上にも悪いことが起こる」などと予測をし、暦を作ったのです。
暦の計算方法は、機密事項だった!
江戸時代まで、暦を作ることができたのは権力者だけで、暦の計算方法も機密事項でした。江戸時代の暦は一年を二十四節気に分け、自然と密着した、季節感豊かなもので、また「この日は不吉だから仕事をしないほうがいい」「この日から種まきをしたほうがいい」など細かく書かれており、それは現代にも「大安・友引・仏滅」などとして伝わっています。例えば現代も「友引」にはお葬式をしません。実際にはしても構わないのですが、多くの人が「気にする人がいるはず」と配慮するのです。「配慮の構造」のようなものが日本社会を動かしている様子が見て取れます。
祝日を見ると、政府の考えが見える?
明治時代になると陰陽道は廃止され、西洋の太陽暦が採用されました。この時、明治政府は祝日をすべて天皇に関わるものに定め、第二次世界大戦後も半分ほど引き継がれました。例えば「建国記念の日」は、初代の神武天皇が即位した紀元節が起源です。また「海の日」は、明治天皇が初めて巡視船に乗船した日です。このように祝日に着目すると、その時代の政府が何をしようとしていることが見えてきます。暦は社会生活で重要であるのと同時に、政府にとっても大切な統治手段だったのです。自然と人間の関わり、また私たちが生きている時代を考える上でも、暦は重要な研究対象となっています。
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愛知学院大学 文学部 宗教文化学科 教授 林 淳 先生
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