なぜ公害被害者は被害を訴えず、問題は解決しないのか
終わらない二つの水俣病問題
1959年に熊本水俣病、1965年に新潟水俣病が公式発表されました。どちらも工場排水に含まれた有機水銀が原因です。食物連鎖による高濃度の有機水銀を蓄積した海魚・川魚を食した人々は水俣病患者となりました。症状としては手足のしびれ、味覚障がい、感覚障がいなどがあり、目に見えにくい症状です。2019年現在、熊本、大阪、東京、新潟で患者さんたちによる裁判が続いています。問題はいまだ解決していません。
長年にわたって被害を訴えられない事情
21世紀に入って、ようやく自分の病を「水俣病だ」と自ら訴えることができた人たちによる裁判です。なぜ今なのでしょうか? 水俣病だと名乗り出ることで、「うつるのではないか」「遺伝するのではないか」と言われ、子や孫までが差別に巻き込まれてしまう恐れ、裁判を起こせば「金が欲しいから、嘘をついているのではないか」と言われてしまう恐れ、水俣病に認定され、得た補償金で、家を建て替えると、「水俣御殿だ」と言われてしまう状況もありました。名乗り出ることが非常に困難な地域社会ができあがっていました。「子どもが就職・結婚した」などそれぞれの理由で、ようやく名乗り出た人たちが今の裁判の原告です。
調査の現場からわかったこと
実際に患者さんたちの話を聞いてわかったことがあります。大学病院での検査で「うそついているんだろ」と言われたこと、集落で最初に認定されたために魚が売れなくなるからと仲間はずれにされたこと、会社の慰安旅行で「あの人はミナだから」と部屋を別にされたことなど、健康被害が職場や地域社会にも影響する派生的被害・二次的被害がそこにありました。このような二次的被害はほかの公害病でも、また災害でも起きています。こうした二次的被害を防ぐためには、みんなが病気や被害の状況を正確に知り、理解することが不可欠です。環境社会学は実際に現地に行き、関係する主体・組織に調査をして、その原因と克服のための方策を研究します。
参考資料
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先生情報 / 大学情報
立正大学 文学部 社会学科 教授 堀田 恭子 先生
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