当然だと思っていたことを疑い、何度も考え直す
人間は自由なのだろうか
哲学では、私たちが当然だと思っていることを疑います。例えば、自由について、多くの人は「人間は自由だ」と考えていますが、本当にそうでしょうか。そもそも人間に自由はあるのでしょうか。現代科学では、自然には法則があると考えます。身の回りの現象も物質の成り立ちも因果関係の産物です。これが学問・科学の前提となっています。例えばサイコロは、特定の目が出る確率は6分の1ですが、サイコロの持ち方、手の動き、落ちる場所の摩擦などによって、次に出る目はあらかじめ決まっていると考えることもできます。脳も物質であることを考えれば、人間の思考も因果関係の連鎖で生まれると考えられます。
突き詰めて考えると生じる矛盾
「サイコロの次の目が何かは、私たちにはわからないが、何が出るかはあらかじめ決まっている」と考えると、意志の自由は存在しないので、他人が不当なことを行っても責任を負わせるとはできないように思われます。ですが、人間は自由だと多くの人々は考えていて、社会では自由があることが当たり前のように考えられています(もちろん、何でもやりたいことができるわけではありませんが)。だからこそ、私たちは他人を称賛したり、責任を負わせたりするのです。このように物事を突き詰めて考えると対立する考えが生まれ、矛盾しているように見えることがあります。しかも、どれが正しいということはわかっていませんし、今でも答えが出ないのです。
争いを起こさないために
人間の考え方の対立は、時に争いを引き起こし、人が死ぬことさえあります。これは、表面的な考え方の対立を見ているだけで、それがどういう背景から生まれてきたかを見ていないために起こるのです。それをお互いに議論すれば、考え方の対立はあっても相手を尊重することは可能です。また、自分に正義があり真理が味方しているという考えも分断を生み出します。自分ももしかしたら間違っているかもしれないという気持ちがあれば、自分の考えを絶対化することはなくなるのです。
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京都大学 総合人間学部 人間・社会・思想講座 教授 戸田 剛文 先生
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