原告はスマトラ象! ――「権利」を持つのは人間だけか?
「橋」が法廷に立った?!
近代政治哲学の祖と呼ばれるT.ホッブズの著書『リヴァイアサン』に、人格(ペルソナ)についての記述があります。そこには「教会」「橋」が法廷に立つ、と書かれています。おそらく人間が教会や橋の代理人として法廷に立ったのでしょう。ホッブズは、オーサー(本人)がアクター(代理人)を認めさえすれば、そこにペルソナが成立すると書いています。橋や教会が代理人を認めることは有り得ないので、この場合はアクターがオーサーを認めたと想定すべきでしょう。
「自己決定」する存在
では、認知症の高齢者や乳幼児など、自分が行った行為について責任を負うのが困難な人たちはオーサーになり得るのでしょうか。18世紀の哲学者I.カントは、人格(人間)の尊厳について、「理性を持った存在者を人格と呼ぶ。人間は行為に責任を持ち、道徳に服従する能力を持つからこそ尊厳がある」と述べています。しかし、これは厳しすぎる定義です。もう少しゆるく考え、「人格とは自己決定する存在」ではどうでしょう。例えば、赤ちゃんは何か嫌なことをされたら泣いて抵抗します。行為の責任を問えないような認知症の人も、不本意なことには反応します。つまり自己決定をしているのです。干渉してはいけないことや、意向を尊重しなければならないことがある、そこに人間としての尊厳、ペルソナを認める根拠があるのです。
人間でないものへの共感
人権という考え方は、身分制社会の否定のもとに近代のヨーロッパで成立しました。貴族、市民、農民という身分を越えた人間としての共感が、この頃に広まったからでしょう。歴史は、身分の越境、年齢の越境、健常者と障がい者の越境などを経験してきました。ならば、人間でないものへの越境もあり得るのではないでしょうか。事実、インドネシアでのダム建設をめぐる日本での裁判においては、スマトラ象や熱帯雨林が原告(オーサー)となり、人間がその代理人(アクター)となって、環境破壊を訴えています。人間以外の動植物に権利を認める可能性が開けているのです。
参考資料
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先生情報 / 大学情報
大阪公立大学 経済学部 経済学科 教授 中村 健吾 先生
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