アフリカと日本の文化に共通するものとは?
近代化した私たちの生活も「迷信」に満ちている
「テレビに映し出されたアフリカの村の小さな家。薄暗い部屋の中には、顔色の悪い痩せた女性が病気で横たわっている。やがて伝統的な治療師が現れて、呪文のようなものを唱えながら、何だかわからない液体を女性に振りかけている」、こんなシーンを見て、どのように感じますか? 大方の人は、「こうした迷信に頼っているのは、近代的な医学や教育が普及していないからだ」、そして「近代化されれば、迷信から脱却できるのに」と思うことでしょう。しかし、近代化されているはずの私たちの生活にも、「お守り」や「御祓い」「占い」「スピリチュアリティ」などの「迷信」が満ちているのはどうしてなのでしょうか?
人間はなぜ「非合理的なもの」を求めるのか?
えてして私たちは、我々自身の生活の中にも占いや風水、御祓いなどの「非合理的なもの」がたっぷりとあるのに、それは置いておいて途上国の人々を「未開」だと見てしまいがちです。さらに、宗教的なものは「非合理的」で、政治経済的なものは「合理的」な判断に基づいて行われているとして、それらを分けて考える傾向にあります。しかしそれらは文化の総合的な要素であり、お互いに関係し合って私たちの生活や暮らしを成り立たせているものなのです。ではなぜ、人間はそういう「非合理的なもの」を求めるのでしょうか?
「非合理的」な行動や習慣をとらえ直すことが大切
それは、私たちが生きている世界を、そのなかで一人ひとりが出会う幸福や不幸という出来事を、「合理的」とされる科学的な世界観が必ずしもわかりやすく説明してくれるわけではないからです。そしてある意味で科学もまた、我々の「非合理的」な志向性や感じ方、考え方の中から生まれてきた多様な文化のひとつとみなすことができるかもしれません。そうした視点から、宗教や迷信といわれる「非合理的」とされる行動や習慣をとらえ直すことは、人間や社会、そして自分自身をより深く知るうえで、非常に重要なことと言えるでしょう。
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