看護と哲学をつなぐことで、看護現場が変わる
既成概念を取り払って物事をとらえる
看護学と哲学とは、学問上、かけ離れた存在のように思えます。ところが、看護師たちの医療現場での仕事のしかたを、より事実に即した形で理解するのに哲学が役に立つことがあります。
一般論として、よく、「人の痛みというのはその人個人の身体の中で起こっている主観的なものだから、他人にはわからない」などと言うことがあります。しかし本当にそうでしょうか。哲学では、そうした既成の概念や枠組みを一度取り払い、実際に目の前で起きていることをとらえ直します。
患者の痛みが「見えている」看護師たち
例えば病棟で、患者が自分の痛みを表すのに1から10の数値を用いて「3くらいの痛み」だと言うときに、看護師が「もっと痛いのでは? お薬のみましょうか」と応答するケースがあります。看護師は毎日患者をケアしているため、その人の痛みがよく「見えて」いて、患者が言った数値ではなく、目の前の痛みに反応しているのです。これは、看護師の身体が現場の状況に即して応答している例で、「実践知」といえるものです。
患者は看護師との対話を通して自らの痛みを再認識し、ケアを受け入れます。もちろん中には、「いや、痛くない」と言う人もいます。そうした「ずれ」とも言える反応が返ってきたときに初めて、看護師は、「痛みというのは主観的なものだから」と考えるのです。
現象学的見地で看護現場を再認識
人が生きて暮らしている現実世界の成り立ちを、既存の枠組みを棚上げしてとらえ直し、記述する。これは哲学の中でも現象学といわれる学問領域の取り組みです。看護の現場においても、そこで起きている事実をありのままに記述し、それらを看護師にフィードバックすると、看護師の自らの仕事に対する理解の枠組みが変わり、現場の動きも組み替わっていきます。無自覚なままに自分が行っていたことを再認識することで、看護についての理解も深まる、そんなプロセスを促す手がかりとして、哲学は重要な役割を担っているのです。
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