大仏造営から犬の世話まで 木簡から知る日本・東アジアの歴史
飛鳥時代より使用開始
「紙」が普及する前、または「紙」が高級品であった時代、人々は木の札に墨で文字を書いた「木簡」を用いて、文書のやりとりをしていました。日本では7世紀中頃から8世紀初頭頃より数多く使われるようになり、特に都のあった飛鳥や奈良、福岡県の大宰府跡、宮城県の多賀城跡といった地域で、多くの木簡が見つかっています。行政組織内の文書だけでなく、貴族邸宅内では「犬に餌をやってください」という簡単なメッセージの伝達にも木簡が使われていました。古代史研究の分野では、こうした木簡から読み取れる文字やその内容を分析することで、これまでわかっていなかった歴史を明らかにしています。
長登銅山の荷札木簡
山口県美祢(みね)市の長登(ながのぼり)銅山跡からは、800点を超える数多くの木簡が出土しています。長登銅山跡は8世紀頃より稼働した銅山の遺跡であり、ここで採掘された大量の銅が都のあった奈良まで送られ、東大寺の大仏の造営に使われました。長登銅山跡からは、生産された銅につけられた「付札木簡」が多く見つかっています。これらの木簡には、銅を生産した工人の名前や、物品名、重量、日付、そして銅の送り先などが記されており、現在の「荷札」や「伝票」のような役割を果たしていました。当時の政府が、物資の輸送を文書でしっかりと記録・管理していたことをうかがえます。
グローバルに広がる研究領域
木簡の使用法は、中国から朝鮮半島を経由して日本列島へと伝わったと考えられています。日本の官僚制度や、文書主義、文書に印を捺すといった現在にも通じる政治や文化、習慣ができあがった時期は、木簡が使われだした飛鳥~奈良時代と重なります。つまり木簡の歴史を解明するということは、日本社会全体の成り立ちを明らかにすることにもつながるのです。また、中国、朝鮮半島、日本で広く使われていた木簡について知ることは、必然的に東アジア全体の歴史を知ることにもつながり、「日本史」という枠を超えて、グローバルな視点を獲得することもできるのです。
参考資料
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先生情報 / 大学情報
東海大学 文学部 歴史学科 日本史専攻 准教授 畑中 彩子 先生
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