鎌倉時代の海外留学 お坊さんは東アジアの海をわたる
東アジアの海上貿易
日本は古くから東アジアと海を介してつながってきました。7世紀から9世紀半ばにかけて派遣されていた遣唐使の時代が終わると、取って代わったのは民間の海上貿易です。中国との交易のために船を出すようになり、9~13世紀にかけて徐々に増加し、14世紀前半にピークを迎えたと考えられます。鎌倉時代には船の行き来はほぼ毎年行われ、20年に1回程度だった遣唐使の時代と比べると、非常に活発でした。
日本からの輸出品
中国からは、高い技術でつくられた陶磁器や絹織物のほか、仏教の経典や医学書、百科事典といった様々な書籍が輸入され、重宝されました。逆に日本からの輸出品の代表が硫黄です。当時の中国では、火薬兵器の発展に伴い原料となる硫黄のニーズが高まり、火山の多い日本は格好の輸入元となりました。日本から中国に逆輸入されたものもあります。遣唐使の時代に日本は中国で数多くの仏典を買い付けてきましたが、その後、中国では仏教への弾圧により仏典が燃やされてしまいます。そこで、日本に残っていた仏典が求められ、中国へと逆輸入されました。こうして日本と中国との結びつきが強まるなか、多くの商人がビジネスチャンスを狙い、海上貿易を活発化させていきました。
僧侶の海外留学
アジアの海を行き来していたのは、商品だけではありません。商人とともに多くの僧侶が留学生として商船に乗り込んだのです。仏教の本場で学ぶために、12世紀後半~14世紀にかけて、これまでに名前の一部やその存在が判明する人だけでも500人近い僧侶たちが中国に渡ったとされています。栄西や道元といった有名人を含め、鎌倉や京都の大寺院だけでなく、地方出身の僧も多く単身あるいはグループで船に乗り込んだようです。韓国で引き揚げられた14世紀の沈没船からは、大量の木製の荷札が発見され、そこに書かれた文字を判読することで関係したお寺や人物などが明らかになりました。このように、出来事のディティールを知ることで、歴史を過去の生き生きとした事実として実感できるのです。
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先生情報 / 大学情報
京都教育大学 教育学部 社会科学科 准教授 中村 翼 先生
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