ニシンの300年から考える水産業と文化・経済
食文化の中のニシン
正月のお節料理の定番に昆布巻きやカズノコがあります。多くの昆布巻きには「身欠き」というニシンの干物が入っていますし、カズノコはニシンの卵です。お節料理になるほど、ニシンは日本の食文化に根ざしています。今日ではニシンを目にする機会やニシン漁の話題はそれほど多くはありませんが、20世紀の中ごろまでは、身欠きニシンは一般的な食材で、ニシン漁は北海道を代表する漁業でした。
ニシンの貢献
およそ300年前から、北海道のニシンが食用だけでなく肥料としても日本各地で消費されてきました。そして、江戸時代の後半、ニシン肥料は主に西日本へ運ばれて作物の栽培に使われ、日本経済を刺激しました。まず、肥料を運ぶ海運が発達しました。次に、肥料を買う農家の戦略性・合理性が高まりました。そしてなにより、栽培された作物の加工品が人々の生活を豊かにしました。たとえば浴衣や手ぬぐいは、この肥料を使って生地である木綿や青の染料の藍が生産され、庶民生活の一部となったのです。
ニシン肥料の役割は20世紀の前半の間に縮小し、消滅していきました。その理由は2つあります。1つは不漁という漁業上の問題で、北海道の沿岸にニシンがほとんど来なくなったのです。その原因には、乱獲という人の営みや海水温の変化という自然現象などが挙げられています。もう1つは、価格が安く供給も豊富な化学肥料などとの競合です。このように、ニシン肥料は、農業技術や航路開発とともに日本経済に現れ、化学工業の発展で市場から消えていったのです。
水産業と文化・経済
水産業は、非常に古くからある産業です。それだけに、私たちの文化への関与も深いものがあります。食文化だけでなく、ことわざや慣用句にも水産物はよく出てきます。もちろん水産業は経済全体の一部であり、経済全体やほかの産業の動きによって、水産業のあり方は変わっていきます。私たちの社会にとって水産業はどういう存在なのか。歴史を振り返ると、その見方がより豊かなものになるでしょう。
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先生情報 / 大学情報
東京海洋大学 海洋生命科学部 海洋政策文化学科 准教授 高橋 周 先生
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