足利義満の時代に始まった、幕府と朝廷の不思議な関係
義満が天皇のいとこになった裏事情
室町幕府の3代将軍足利義満は自ら公家として振る舞いました。天皇に取って代わろうとしたのだろうとみる説もありますが、天皇といとこ同士という関係があったのです。鎌倉時代末期、朝廷は大覚寺統と持明院統のふたつの血筋に分かれて皇位を争っていたので、どうやって幕府を味方につけるか苦心していました。足利尊氏と手を組んだ北朝である持明院統は、幕府の内紛のあおりを受けて1351年にいったん中絶しました。北朝が再建する過程で、幕府との関係をより強めたい天皇の側から将軍との姻戚関係作りがなされて、天皇の従兄弟である将軍義満というユニークな将軍が誕生したのです。
財政的に苦しかった朝廷
朝廷が将軍を取り込みたかったことには、財政面の問題もあります。天皇に即位する際の盛大な儀礼や20年に1回の伊勢神宮社殿造り替えなど、頻繁に臨時出費があることで朝廷は資金繰りに困っていました。以前は国司に税の形で資金を集めさせたのですが、室町時代になると国司の力が弱まり、それも難しくなりました。室町幕府は仕方なく自腹を切って費用を献上するのですが、できれば朝廷に自分で資金を集めてほしいと考えて、それは無理だという朝廷側と押し問答をしました。結局、幕府の守護が国司に替わって税を集めることになったのです。
なぜ足利氏は逆賊とされたのか
足利尊氏は北朝と南朝のどちらか一方だけを立てるわけにはいかないと考えたのですが、幕府の廃止を考えていた後醍醐天皇とは対立してしまいました。しかし、足利義満は縁戚関係のある持明院統を堂々と支援しました。縁戚関係があるのに扶(たす)けないということは義理が通らないからです。そして義満時代からあと、幕府が朝廷の面倒をみることが伝統になり、江戸幕府が崩壊するまで幕府が朝廷を社会的・経済的に支える関係が続きました。江戸幕府を倒して新しい時代をつくろうと考えた幕末の志士たちは後醍醐天皇をお手本にしていたため、後醍醐天皇と対立した足利氏は逆賊ということになってしまったのです。
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学習院大学 文学部 史学科 教授 家永 遵嗣 先生
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