現在の大阪城天守閣は、いつ、どのようにして再建されたのか?
短命だった大坂城の天守閣
安土桃山時代に、豊臣秀吉が石山本願寺の広大な跡地に築いた巨大な城が大坂城です。1615年の大坂夏の陣で、幕府軍によって豊臣氏が滅亡させられた際、大坂城はすべて消失してしまいました。その後、徳川幕府は約10年の歳月をかけて大坂城を再建しましたが、40年足らずのうちに、落雷によって天守閣は焼失しました。江戸時代末期には、新政府軍と旧幕府軍との争いのさなか、大坂城では火災が発生し、残る建物の大半も失われてしまいました。
明治から昭和にかけての大阪城
明治維新の後、新政府は全国を6つのブロックに分けて鎮台(軍隊)を配備し、各地の城跡にその拠点を置きました。大阪城には、大阪鎮台(後の第四師団)の司令部が置かれ、軍事基地として利用されるようになりました。当時の大阪では、それまでの江戸幕府を否定する意味合いで豊臣秀吉が再び脚光を浴びるようになり、その象徴の一つとして、大阪城を歴史遺産や観光資源として利用しようとする動きが強まっていきました。実際に、大阪城内に見学ルートが設けられ、第四師団によって大阪城みやげも販売されていました。
昭和時代に入ると、大阪城の天守閣再建を含む公園整備計画が、当時の大阪市長によって発案され、市民からの募金で当時の金額150万円をもとに実施されました。この金額は、換算方法によって現在の60億円から750億円に至るまで、さまざまな金額が算出されています。現在の大阪城の天守閣は、この整備計画によって1931年に完成したもので、現在に至るまでに各地の城で再建された、復興天守閣の先駆的存在となっています。
身近にある城に秘められた歴史
日本の各地にある城の数々は、戦国時代から江戸時代にかけて、武将たちの活躍の舞台となった場所です。しかしそれで終わりではなく、近現代に至るまで各地の城にはそれぞれ変遷の歴史があり、国や地域社会との関わりの中で存在意義を持ち続けてきました。あなたの住む土地の近くにある城にも、そうした歴史が秘められているに違いありません。
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金沢大学 人間社会学域 人文学類 教授 能川 泰治 先生
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