ルネサンスの芸術家工房:レオナルド・ダ・ヴィンチの修業時代を例に

ルネサンスの芸術家
イタリアでは14世紀から、古代の文化遺産を手掛かりに、優れた作品を世に問う芸術家が数多く現れました。彼らの文化活動を「ルネサンス」と総称します。分野の壁を越え、万能な仕事ぶりを見せたルネサンス芸術家たちですが、その創作力の源はどこにあったのでしょうか。有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの修業時代を見ながら、秘密の一端を解き明かします。
芸術家を取り巻く社会環境
当時のイタリアは、都市国家が乱立する不安定な政治状況でした。都市の宮廷、有力者たちがパトロンとなり、芸術家に作品を注文します。美術作品は、芸術家個人の創作物というより、注文主の意向、事情によって左右され、特定の目的で制作されました。パトロンたちが教養を高めあう環境が存在したことも、イタリアでルネサンスが花開いた要因でした。
レオナルドは、当時イタリアで一般的だったテンペラだけでなく、今日のベルギー一帯で開発された油絵技法も積極的に取り入れました。イタリア・ルネサンスの芸術家たちは、他国の文化状況に精通し、優れた点はすぐに受け入れる柔軟性を持ち合わせていました。
工房の仕組みをもとに、作品を読み解く
ルネサンス期の芸術家は、若い弟子たちを雇い入れ、その親方として工房を切り盛りしていました。一般的に弟子は14歳から20歳ごろまで修業し、組合の許可を得て独立すると、都市で工房を開くか、宮廷芸術家を目指しました。美術学校が存在しなかった当時、工房は芸術家育成の場でもあったのです。
工房では一つの作品を仕上げるまでに、親方、弟子たち、様々な人の手が関わります。研究では、親方の手がどこまで入っていたか、どの部分を弟子の誰が描いたのか、作品ごとの見極めも行われます。
レオナルドは当時、大変人気のあったヴェロッキオ工房で修業しました。ボッティチェッリも学びの場とした工房で、彼は何を修得し、親方作品に筆を入れるまでになったのでしょうか。作品を分析すると、工房内での役割分担、弟子同士の協力や切磋琢磨の様子などが浮かび上がります。
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武蔵大学人文学部 ヨーロッパ文化学科 助教久保 佑馬 先生
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