弥生時代の人々が見上げた夜空に迫る
天文学×考古学が切り開く新しい領域
イギリスのストーンヘンジに代表されるように、世界の考古学では1960年代から太陽や月や星の動きと遺跡を関連づける研究が進められてきました。ところが日本では、戦前に「現人神である天皇は天照大神の子どもである」と国民を教育しており、考古学と天文学を結びつける研究が大きく出遅れました。太平洋戦争の敗戦によってこの思想が否定されたため、近年は日本の考古学においても、考古学に天文学的手法を導入した「考古天文学」が注目を集めています。
弥生・古墳時代の星空は現在とは異なるために、当時の天体の運行を再現するには複雑な計算やシミュレーションが必要です。理系の研究者との共同研究や、情報処理技術の発展によって過去の再現が可能になり、これまでは見過ごされてきた遺跡と天体の深い関わりが明らかになりつつあります。
弥生時代の月への信仰
弥生時代の大規模な遺跡として知られる佐賀県の吉野ヶ里遺跡の北内郭は、さまざまな祭祀(さいし)儀礼が行われた特別な空間だったと考えられています。これまで、北内郭は夏至の日の出に合わせて建てられていると言われてきましたが、精密に計測してみたところ、微妙なズレがありました。そこで、太陽ではなく月との関係に注目して調査を進めたところ、北内郭の中心点を通る軸線と、高度が高い冬の満月の昇る方角が一致しました。古代の人々は月の暦を理解して、それに合わせて建物の方位を決めていたのです。
古代人の心に迫る
考古天文学では、周囲の環境と人々の関わりについても考えます。吉野ヶ里遺跡の上空からドローンで撮影してみると、歴代の王が埋葬されている北墳丘墓と儀礼を行う北内郭、そして背後にそびえる雲仙普賢岳が一直線上に並んでいることがわかりました。これは偶然ではなく、人々の信仰によるものと考えられます。考古天文学によって、これまでは知ることが難しかった、この世界をどう捉えていたのかという無文字社会の人々の内面にも迫ることができるようになったのです。
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