日本はいかにして、市民の命を守る公衆衛生環境をつくり上げたのか?
日本の公衆衛生の歴史の始まりは貧困対策
現代の日本人は、衛生的な社会環境のもとで暮らしています。日本の公衆衛生は、誰の力で、どのように発達してきたのでしょうか?
明治10年代にコレラが来襲して十数万人の死者が出たのをきっかけに、市民の健康をどうやって守るかが政府の大きな課題となりました。都市に人が集まって生活すれば、ゴミやし尿の処理がうまくできず、居住環境が病原菌の温床となって衛生面で深刻な問題が生じます。さらに、貧しくて医療を受けられず、薬が買えない人々は感染症に倒れ、生活環境の悪化に拍車がかかります。当時の内務省には今の厚生労働省のような衛生局という部署があり、公衆衛生を改善するために、まずは貧困対策が焦点となりました。
都市計画は「伝染病」対策だった!?
明治25年には伝染病研究所が設立され、また細菌の温床となる土壌の汚染をなくすために、上下水道の整備をはじめとした都市基盤を整備しようという動きが出てきました。衛生的な都市環境づくりが始まったのです。
そんな中、伝染病予防法が明治30年に制定され、また府県や市町村の自治体に衛生関係の部署が置かれるようになりました。地域住民の間では、伝染病予防のための組織である衛生組合が町単位などで結成されて、都市を中心に全国へ広がりました。
地域の環境を支えてきた衛生組合
衛生組合には自治体から費用が援助され、年に2回の町内の大掃除や害虫駆除をはじめ、地域の健康診断など、財源をもってさまざまな活動が行われるようになりました。これが後の町内会、自治会の起源のひとつといわれています。衛生組合は、市や、大都市では行政区単位の連合会を結成し、さらには全国的に網の目のように広がり発展していきます。明治から戦後にかけて、衛生組合が感染症予防、地域保健活動に果たした役割は大きいのです。現在も町内会で行われる清掃活動は、衛生組合の名残といえるでしょう。
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大手前大学 国際日本学部 国際日本学科 教授 尾﨑 耕司 先生
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