時間意識と生きられる世界
時間意識の哲学とは
私たちはふだん、時間をどのように意識しているでしょうか。時計の文字盤を思い浮かべる人や、数直線のようなイメージで時間をとらえている人もいるかもしれません。エトムント・フッサールという哲学者は、そのような数量としてイメージされる時間とは別の、私たちが具体的な生活の中で経験している、生きられる時間をとらえようとしました。このように時間をどのように経験するかを考える哲学を、時間意識の哲学と呼びます。生きられる時間にはいくつかの特徴がありますが、その一つに、現在とは時間軸上の単なる点ではなく、時間の幅や厚みを含んだものだという性格があります。
生きられる時間と世界
世界が時間の厚みをもって生きられているということが、世界にある種の奥行きを与えます。世界の中に存在するものは、ただ単に存在するだけではなく、時間の中で少しずつ姿を現します。このことを可能にしているのが時間意識です。それに応じて、私たちもまたそれらのものに注意を向け、魅力を感じたり、またその逆に目を背けたり、避けたいと思ったりします。そしてこうした私たちの振る舞いもまた、世界の現れ方に影響を与えます。こうして私たちが生活する世界は、私たちに無関係なよそよそしい世界ではなく、陰影や味わいをもった、私たちに馴染み深い世界として、時間の中で開かれてくるのです。
「わかる」という体験
フッサールの哲学は、「わかる」、「知っている」とは何かを考えるものだと言えます。あることがらについて知っていると言えるためには、私たちはそのことがらに正しい仕方で向かうのでなければなりません。時間意識の哲学の発展をうながしたのは、この向かうプロセスが時間の中で成立するということでした。私たちは知ろうとするものにもっと近づいたり、近づく途中で間違いに気づいてがっかりしたりします。この動的なプロセスが時間的なプロセスであるということが、フッサールにとってさまざまな体験の原型になっています。
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