偉大なる哲学者ヒュームが挑んだ「人間とはなにか?」
人は、なぜ人を殺さないのか
例えば、「人を殺してはいけない」というテーマを考えてみましょう。18世紀より以前、『リバイアサン』で知られるホッブズの論理によれば、人を殺すと自分も殺される危険があり、そこで、人を殺すという自由をゆだねる「権力」が必要なのだと考えました。そして、その権力によって安全が確保され、社会秩序が保たれると考えたのです。しかし一方で、人間には生まれつき道徳的な素質が備わっていて、それこそが道徳の源泉であると主張する考えもありました。
18世紀にその名を残す哲学者デビッド・ヒューム。彼は、この2つの考えを融合し、「人間とはなにか」という、壮大なテーマに挑んだのです。
人間は、他人の痛みもわかる「共感する」生き物
ヒュームは、人間には「自分勝手なことをしたい」という利己的な性質と、「だれかが困っていたら自分のことをさしおいてでも助けてあげよう」という性質の両方があり、それこそが人間なのだと唱えました。
例えば、人間は、1つの船のオールを何人かでリズムを合わせて漕げば、効率よくスムーズに前進できるといった、自分の利にも他人の利にもなること、つまり「協力」というものを社会の中で身を持って学んでいきます。そういった協力から生まれた感情を道徳を作り上げていく「情念」ととらえ、その情念がいわゆる道徳や理性といったものに形を与えているのだとヒュームは論じたのです。
暗黙の了解が社会の制度となっていった
そして彼はそのある種の情念から導き出される、社会一般での「暗黙の了解」が、「決まりごと(=convention)」となり、それらが積み重なり、社会のシステムや社会制度というものを形成していくのだと考えました。
ニュートンは、実験的科学の手法で自然科学の法則性を解き明かしたのですが、ヒュームは、同じような手法で人間の本質を解き明かそうとした偉大な哲学者であるとも言われています。
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