「卑弥呼は邪馬台国の女王だった」というのは大間違い!?
邪馬台国にまつわる誤解
邪馬台国がどこにあったか、興味のある人は多いでしょう。しかし文献史料は既に研究し尽くされており、判断はほぼ不可能です。また、よく誤解を招いているのが、卑弥呼が「邪馬台国の女王」だったという説です。中国の『魏志倭人伝』には「倭国の女王」「女王国の女王」としか書かれていません。中国から王国として認められたのは「倭国」「女王国」であって、邪馬台国はその一部、つまり女王がいた場所を指す、都やムラだと考えられていたのです。
『魏志倭人伝』が重要な理由
そもそも、『魏志倭人伝』という書物は実は存在しません。『魏志倭人伝』と呼ばれているのは実際には三国志の一部です。しかも現存しているのは当時から何回も書き写されたもので、当然、誤記が起こりやすく、さらに他国の記述ですから内容をうのみにするのは危ないといえます。実際、史料としてよく用いられる写本では邪馬台国が「邪馬壹国」と書かれています。「壹」は「壱(イチ)」の旧字ですが、「台」の旧字の「薹」と似ているため、間違って書き写されたというのです。それでも『魏志倭人伝』が重要とされるのは、「3世紀のことが3世紀に書かれている」からです。日本には当時書かれた文献は存在しませんから、外国の文献にもかかわらず日本古代史を研究する上で重要なものなのです。
考古学からわかること
遺跡の発掘などを通して、文字で書き残されなかった部分でも、明らかにできます。しかし発掘した考古資料から政治や組織、思想を知るのは、文字史料より難しいものです。新たな文字史料が出ない限り、邪馬台国と呼ばれた地点を「断定」するのは難しいでしょう。半面、考古学は人々がどういう暮らしをし、どういう「もの」のやりとりをしたか、文化や経済の実態を探ることはかなり得意です。現在は年代を特定できる技術も上がり、3世紀の暮らしぶりがだいぶわかってきました。そして、当時の「もの」や人の交流が現在の近畿、特に奈良を中心としていた事実はもはや疑う余地がないようです。
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茨城大学 人文社会科学部 人間文化学科 教授 田中 裕 先生
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