勇気を持って、研究を続けたマリー・キュリー
女性研究者たちの苦労
ノーベル化学賞と物理学賞を受賞したマリー・キュリー(キュリー夫人)は、1867年生まれで、科学者として成功した稀な女性です。例えば、アインシュタインの妻・ミレーバは物理学者でしたが、結婚をきっかけに研究が続けられなくなりました。また、「ドイツのキュリー夫人」と言われる、リーゼ・マイトナーは、原子核分裂の反応を発見したのに、共同研究者のオットー・ハーンに功績をとられてしまいます。後にオットー・ハーンはノーベル賞を受賞しますが、リーゼのことは自伝でも一切触れていません。それはリーゼ・マイトナーがユダヤ人で、女性だったからです。彼女はウィーン大学で学位を取り、ベルリン大学で学ぼうとしますが、公に講義を受けることが許されず、講義が行われていた講堂の舞台袖の下で勉強したといわれています。このように、当時勉学を続けたいという女性たちは厳しい状況にありました。
苦難の末のノーベル賞
マリー・キュリーはロシアに併合されていたポーランドに生まれ、家族を失うなど苦労をします。その後、ポーランドを出て、フランスに留学し、その後、同じく科学者で後に夫となるピエールと出会い、研究を進めます。マリーは物質をさまざまな元素や化合物で試し、ポロニウムやラジウムを発見したのです。系統的、定量的に研究を進めたことが評価されています。そして、核化学という学問を発展させました。
兵士を救った「プチ・キュリー」
彼女は、第一次大戦中には、「プチ・キュリー」という、移動レントゲン車20台を作り、さらにこれと同じ機能を持たせた治療施設を前線に設置しました。それで100万人くらいの兵士に治療ができたと言われています。また、女性には水泳や体育を勧め、ユネスコの前身組織でも活躍します。学会であるフランスアカデミーは入会を認めませんでしたが、それでもマリーは筋を曲げずに科学者としての人生を貫きました。現代の女性たちが自由に学べる背景には、このようにそれまでの女性たちの努力あるともいえるのです。
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先生情報 / 大学情報
神戸大学 海事科学部 海洋安全システム科学科 教授 山内 知也 先生
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