小説から読み解く「プライバシー」の問題
実在の人物をモデルに小説を描く
日本文学には明治時代末期、作家自身が体験した出来事と心情をありのままに描く小説が生まれました。のちに「私小説」と呼ばれることになるタイプの小説です。田山花袋の『蒲団』などがその代表例で、恥ずかしいことも赤裸々にさらけ出すリアルさが、読者の称賛を浴びたのです。私小説は文学作品の一つの流れとなって定着し、次第に作家自身の知り合いやスポーツ選手、政治家など実在の人物をモデルに描く、「モデル小説」へと枝分かれしていきました。これらの作品が読者に受け入れられた理由は、話題の事件の舞台裏や他人のことを知りたいという、「覗き見的な欲求」を満たす要素があったからでしょう。
プライバシーという概念はいつ生まれたか
モデル小説は、ときにモデルにされた人物と作家との間でトラブルを発生させます。私たちは私生活や個人の秘密、それを守る権利について「プライバシー」という言葉を使いますが、この考え方はいつ生まれたのでしょうか。プライバシーが争われた初の裁判は1961年、三島由紀夫の長編小説『宴のあと』を訴えたものと言われています。この作品は東京都知事選候補者をモデルにした小説で、「表現の自由」と「私生活をむやみに明かされない権利」が争点となりました。この裁判を機に、「プライバシーの侵害」という言葉が広く使われるようになったのです。
時代とともに変化する文学と社会の関係
1990年代には、柳美里の小説『石に泳ぐ魚』の裁判が注目を集めました。顔に腫瘍のある友人女性を描いたこの作品は、文学作品の言葉とジャーナリズムの言葉とはプライバシーの問題を考える時にどう違うのか、また他人から見える顔を描くことがどうプライバシーの侵害にあたるのかなど、表現の自由をめぐる大議論を巻き起こしました。
人々の常識や価値観は時代とともに変化を遂げ、モデル小説として文学作品が表現する範囲も変わってきています。その移り変わりは、文学作品の表現をめぐるトラブルの歴史からも、うかがい知ることができるのです。
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