作中の絵画を手がかりに小説を読み解く

作中の絵画を手がかりに小説を読み解く

谷崎潤一郎の小説

『刺青(しせい)』は、谷崎潤一郎のデビュー作です。江戸時代を思わせる時代設定で、理想の女性に刺青を彫りたいという願望を抱えた刺青(いれずみ)師が、美しい女性と出会って、彼女の背中に蜘蛛の刺青を彫るという物語です。作中で起こる出来事はそれだけですが、主人公は刺青を彫る前に女性に二枚の絵画を見せます。

絵画とラストシーン

女性には名前がなく、本文では「娘」と呼ばれています。主人公は娘に、処刑される男を眺める妃が描かれた絵と、足もとに倒れている男たちの死骸に魅せられた若い女の絵を見せます。娘は絵を見ることを嫌がりますが、見ているうちに不思議と絵の中の女に似ていきます。そして一晩かけて刺青を彫った後、小説のラストシーンでは、絵の構図をなぞるように、主人公が娘を仰ぎ見ます。この場面で、本文の女性の表記は「娘」から「女」に変わっています。主人公は絵を女に渡し、女はお前は真っ先に私の「肥料(こやし)」になったのだ、と言います。「肥料」とは、二枚目の絵のタイトルでした。『刺青』は雑誌発表時、ラストシーンに絵の中の風景と同じく小鳥の凱歌が聞こえると書かれていましたが、後に削られています。現行の本文よりも、絵画とラストシーンの関係が強調された表現になっていたのです。

実在の絵画・画家、挿絵

このように、作中に小道具として出てくる絵画に着目して小説を読むと、作家の表現の工夫に気づいたり、物語の新たな意味が見出せたりします。『刺青』の場合は架空の絵画でしたが、実在の絵画や画家の名前が作中に出てくることもあります。たとえば横光利一の『旅愁』では、新聞連載の挿絵を担当した画家の藤田嗣治の名前が、登場人物たちの会話の中に登場します。日中戦争により新聞連載は中断してしまい、小説は雑誌上で書き継がれたものの、挿絵は途中までしかありません。しかし、挿絵や画家の名前を手がかりにすると、『旅愁』という未完に終わった長篇小説の、新聞連載当初の構想が見えてきます。これも絵画に着目した小説の読み方といえます。

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静岡大学 教育学部 学校教育教員養成課程 教科教育学専攻 国語教育専修 准教授 中村 ともえ 先生

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日本文学、国語教育学

メッセージ

わたし自身は、大学入学の時点で日本文学の研究を志していたわけではありません。本を読むことは好きでしたが、純文学というよりミステリーなどを好んで読んでいました。入学後、専攻として国文学を選んで進学したときには、それまでの読書歴を考えると不安で、実際、戸惑うこともたくさんありました。それでも、わたしのように大学でさまざまな学問分野に触れてから、自分が何をしたいのかを考えても遅くはありません。大学は高校までは知り得なかったことを知ることができる場所です。迷いながらでも、恐れず、ぜひ進学してください。

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