講義No.06342 史学・地理学

戦国日本を動かした大砲のルーツを探る

戦国日本を動かした大砲のルーツを探る

戦国武将・大友宗麟

豊後(現在の大分県)の大友宗麟(そうりん)は、戦国時代のキリシタン大名です。その宗麟の治めていた大分市内の町跡を発掘すると、教会跡やキリシタン遺物・鉄砲の弾が出てきました。
宗麟は、明(みん)の海賊の王直(おうちょく)と親しかったと言います。一部の明の貿易商人も日本の海賊と同じ「倭寇(わこう)」とみなされていました。
1543年、王直の船が種子島に漂着し、乗っていたポルトガル人が日本に鉄砲を伝えたとされています。また1549年、ザビエルがキリスト教布教のために来日、宗麟は領内での布教活動を認めました。しかし当初の目的は、宗教より貴重品や火薬を用いる武器などを手に入れるために南蛮貿易を行うことだったと考えられます。

大砲はいつ日本に伝来したのか?

宗麟は日本で最初に大砲を使い、おそらく日本で初めて日本製の大砲も作りました。しかし、大砲がいつ日本に伝来したのかはよくわかっていません。歴史をさかのぼると、ヴァスコ・ダ・ガマによってインド航路を開いたポルトガルはマカオ周辺を不法占拠していましたが、1522年に一度明軍によって駆逐されました。このとき明王朝は大砲を手に入れています。そして大砲も鉄砲のように、王直のような倭寇が南蛮から日本に持ち込んだと推測されます。

情報をつなぎ合わせて歴史の意義を探る

城門を壊せるほど破壊力のある大砲は、勢力拡大を狙っていた宗麟にとって、さぞや魅力的に映ったに違いありません。貿易で大砲を得た宗麟は、家臣を南蛮に送り込み、作り方を習得させました。さらにその家臣の子孫は、徳川家康に仕え、大坂の陣で使う大砲を鋳造する役目を担いました。関ヶ原の戦い直前の「上杉征伐」に持ち込まれた大砲は、1600年4月に豊後に漂着したオランダ船・リーフデ号に乗せられていたものでした。宗麟が育んだ南蛮貿易や大砲などの軍事技術は、日本史を動かす上で極めて重要な役割を果たしていたのです。
このように歴史は、一つひとつの情報をつなぎ合わせることで、その意義が見えてくるのです。

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先生情報 / 大学情報

別府大学 文学部 史学・文化財学科 教授 上野 淳也 先生

別府大学文学部 史学・文化財学科 教授上野 淳也 先生

興味が湧いてきたら、この学問がオススメ!

考古学、歴史考古学

先生が目指すSDGs

メッセージ

「誰にも負けたくないほど好きなもの」を見つけることが、人生における大きなテーマだと思います。
それがもし歴史なら、伝統と実績のある別府大学でぜひ学んでください。私の講義では、実際に発掘調査に出かけ、出土したモノの歴史的意義を探ります。何気ないモノにも必ず意味が隠されているのです。
考古学は、大学で初めて学ぶことができる学問ですから、スタートはみんな横並びです。だから安心して、夢を持って入学してきてください。歴史の見方を探ることで、4年後にはきっと、考え抜く力が磨かれているはずです。

先生への質問

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別府大学は、「真理はわれらを自由にする」を教育理念に、学生の可能性を広げる“愛”に満ちた教育を展開しています。3学部・6学科、大学院を設置している本学は、恵まれた美しい風土に育まれ、国際観光都市という立地環境を生かして、国際社会・地域社会に貢献できる人材の育成に努めています。また、キャンパス内の環境整備にも力を入れており、中庭や教室棟の整備はもちろんのこと、学生寮の建て替えなど、より良い環境で充実した学生生活が送れるよう学生目線での改善にも積極的に取り組んでいます。