支配関係をもくつがえす「文学」の力
庶民が手に入れた、読み書きする力
宗教改革を行ったルターが聖書をドイツ語に翻訳するまで、聖書はギリシア語やラテン語で書かれていました。つまり僧侶や貴族にしかわからない書き言葉です。それをルターは初めて庶民の言葉であるドイツ語に翻訳しました。これによって庶民は読み書きを始めるようになり、それと並行して小説の源流となる散文が流行しました。こうして識字率が上がった地方の農民たちは、迷信やデマによって惑わされることなく自主的に考える態度を身につけるようになったのです。
ヘーベルの作品『びんた』に込められた風刺
そのようにして書かれた短い散文に、ヨハン・ペーター・ヘーベルという作家が書いた『びんた』と題された一編があります。小さな男の子が母親に泣きつきました。「お父さんがぼくをひっぱたいたよ」。すると父親が来て言いました。「またうそをついてやがる。もう一発くらいたいのか」。
これはたった2、3行の作品ですが、その中に大きなどんでん返しがあります。子どもが父親にたたかれ母親に泣きつくのですが、父親は「“もう”一発くらいたいのか」という余計なひと言によって、否定しようと思っていた自分の罪を暴露してしまうのです。この時代、農村という狭い生活圏の中ではこういった暴力が日常的に行われていました。おそらく父親は日頃から暴力をふるっていたから、無意識に自分の罪を認めてしまうような重大発言がポロリと出てしまったのでしょう。父と子という絶対的な支配関係に対して疑義を呈し、ひっくり返して転覆させてみせる、これは一種の社会風刺なのです。
文学は直接には語らない
人間は昔から、やりきれないことに対して暴力をふるうのではなく、言葉によって自分たちに対する圧力を跳ねのけてきたという歴史があります。へーベルの作品には、むやみに暴力をふるってはいけないという直接的な言葉は全く使われていません。直接語るのではなく、そこはかとなくそう思わせる、それが「文学」の力なのです。
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先生情報 / 大学情報
東京都立大学 人文社会学部 人文学科 教授 園田 みどり 先生
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