江戸時代の有田焼の輸出は、現代貿易の始まりだ!
スペインの植民地メキシコで有田焼が発掘
江戸時代の貿易というと、長崎・出島でのオランダのイメージが強いのですが、当時スペイン領のメキシコやグアテマラ、キューバといった中南米で大量の佐賀・有田焼が発掘されています。皿やココアを飲むためのチョコレートカップといった品物で、スペイン人が日常的に使用するものです。これらの有田焼を運んだのは、スペイン人でした。長崎から中国船によって、スペインの植民地であったフィリピンのマニラに運ばれた有田焼を、スペイン商人が買い付けて中南米に運んでいたのです。
太平洋を渡って、ガレオン船で中南米に到達
以前は、これらの有田焼はヨーロッパ経由で運ばれたと考えられていました。しかしその後の調査で、ガレオン船で太平洋を渡っていることがわかりました。マニラから北上して、日本あたりで偏西風と海流に乗って東に向かいます。北アメリカにぶつかった後、南下して中南米に到達する航路です。約2カ月の船旅でした。当時の日本の輸出品は、金や銀、銅、生糸などの原料が中心でしたが、実は工業製品である陶磁器も大量に輸出されていたのです。
当時の有田焼を焼くための窯(かま)は、大きなものでは20室以上もの焼成室をもつ長さ約70m以上の規模があり、生産も家内工業ではなく分業化されていました。技術の漏洩(ろうえい)も厳しくチェックされていました。
長崎は情報交換の重要拠点
製品もチョコレートカップという日本では使われないものを作っていることから、買い手の要望を作り手に伝える人がいたと考えられます。有田焼はほかにも、ヨーロッパ風の高級陶磁器や東南アジアで庶民が使用する磁器、例えばタイやカンボジアではどんぶりのようなもの、インドネシアはイスラム圏なので大皿、中皿などがありました。
長崎は単なる有田焼の輸出港であるだけではなく、有田焼の買い手と売り手の情報が行き交う重要な拠点であったことがわかります。陶磁器の貿易は大量の工業製品を売り買いする現代の貿易の始まりであったということができるでしょう。
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先生情報 / 大学情報
長崎大学 多文化社会学部 多文化社会学科 教授 野上 建紀 先生
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