日本語研究の新発見は、江戸時代のオランダ人の記録から!

町人の発音や方言を記録した商館長たち
1634年、江戸幕府は鎖国政策の一環として長崎港に「出島」を築きました。オランダ東インド会社日本支店であったオランダ商館は、平戸から出島に移されて、貿易は島内に制限されました。商館長たちは、オランダ政府の貿易政策や日本人通訳の技術向上などのため、町人の「話し言葉」の発音や方言をローマ字で記録して、独自に研究を重ねました。長く商館長を務めたヘンドリック・ドゥーフは蘭和辞書『ドゥーフ・ハルマ』を、最後の商館長ドンケル・クルティウスは『日本文法試論』を完成させました。彼らの遺した資料をひも解けば、1800年代に長崎で暮らした人々の生き生きとした言葉に触れられるのです。
「平戸」は「Firado」だった
資料の研究によると、約260年間続いた江戸時代の中で町人の言葉は変化していたことがわかります。例えば、「ハヒフヘホ」は江戸初期では「f」の発音に近く、地名の「平戸」は「Firado」と呼ばれました。やがて発音が「f」と「h」で揺れるようになって、幕末までには「h」の発音になったと考えられます。またクルティウスの文法書には、現代の九州方言に特徴的な口語表現が記されています。「暑さあ」「きつさあ」といった「形容詞に“さ”をつける用法」は、先行研究では戦前から用いられたという説が有力でしたが、江戸時代に既にあったことを本書は示しているのです。
言語学の専門家ではない外国人によって記録された町人の「話し言葉」は、日本語研究における資料的価値が再評価されて、長らく見落とされてきた事実に光を当てる可能性を秘めています。
他分野の研究に活用できるようデータ化
この資料を網羅的にまとめて、翻刻(古い時代の外国語表記を現代の文字でテキスト化すること)と和訳を行って書籍化・データ化することが進められています。誰もがアクセスしやすい形で情報公開されれば、日本語研究だけでなく、文化交流史など幅広い分野の研究に活用できると期待されています。
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