「外国語」として見直すと見えてくる、「日本語」教育のあり方
日本語は習得するのが難しい言語?
日本語は、外国の人々には習得するのが難しい言語だと言われることがあります。日本語を母語として普段から無意識に使っている私たちにとっては、具体的にどこがどう難しいのか、すぐにはピンときません。しかし、地球上に存在するさまざまな言語の中の一つとして日本語を客観的に見直してみると、外国の人々にとっていろいろと難しい面があることがわかってきます。
闇雲に教えても伝わらない「違い」
私たちが何気なく使っている日本語の促音(「っ」という音)は、実は外国の人々にはかなり難しい発音です。例えば、「切手ください(きってください)」と外国の人が言おうとすると、「来てください(きてください)」となってしまうことがよくあります。促音部分には音が存在せず、日本人はそこが無音閉鎖であることを時間的な長さとして(無意識に)知覚できますが、世界中のほとんどの言語では、音の長さ(拍)を知覚できないため、「きって」と「きて」の区別がつかなくなってしまうのです。
外国の人々にとって、こうした違いは自然にはわかりませんし、日本語を母語とする人がただ闇雲に教えようとしても、理解してもらうことは困難です。その人が話している言語と日本語とで何がどう違うのか、具体的な「気づき」を与えて意識してもらってから、それを反復して習得してもらわなければならないのです。
いろいろな面で「気づき」を与えるための工夫を
日本語教育の研究に取り組む際には、鏡のようにその対象となる言語を学び、その上で日本語の特徴を外国語として客観的にとらえて理解していくといいでしょう。外国の人々が日本語を学んでいる様子を観察して、彼らが何についての理解に苦労しているのかを把握する努力をすることも必要です。
母語は、普段から自然に使っているだけでは、それ自体の特徴を理解することはできません。学んでいく中で、いろいろな面で「気づき」を得られるような工夫をしていくことが大切なのです。
参考資料
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